「東京都荒川区は2014年度、区内の全小中学生に授業用のタブレット(多機能携帯端末)を配布する。教員が操作する電子黒板と連動。紙の教科書ではわかりにくい場合に生徒の席で動画が見られたり、一人ひとりの習熟度に合わせたドリルを表示したりする授業が可能になる。学ぶ意欲や理解度を高める効果があるという。
まず13年度に小学校3校でモデル事業を始め、運用方法を検証する。13年度予算案に関連費用約5000万円を計上した。国は全国20校でタブレットなどを使ったICT(情報通信技術)の実証実験を進めているが、自治体が独自で全生徒に端末を配布するのは珍しい。
疑問に感じたことをインターネットですぐに調べられるほか、タッチペンで操作し、ノート代わりに使うこともできる。荒川区立の小学生は24校に約8000人、中学生は10校に約3000人。予備も含め、約1万2000台を導入する見通しだ。端末や教材ソフトは企業からリースする。14年度の導入費用は数億円を見込む。
荒川区は09年度には電子黒板を導入している。西川太一郎区長は「できるだけ早くやりたい。(全生徒への端末配布の)準備ができ次第、13年度に補正予算を組み、前倒しで実施したい」と話している。」nikkei 2月12日
「デジタル教科書を使う試みはすでに始まっている(北海道の小学校)=NTTコミュニケーションズ提供。
デジタル教科書とは大型ディスプレーやパソコンなど教育用の電子機器やそのための教材の総称。生徒一人ひとりが情報端末を持ち、教室の前面に備えた「電子黒板」などとネットワークで相互に接続し授業に活用する。教科書の内容を電子化するだけでなく、生徒が積極的に意見を発信する授業を実現するのが目的だ。総務省は2015年度に小中学校の全員にデジタル教科書を配備する目標を掲げている。」nikkei 2010年12月31日
上記二つの日経新聞の引用記事、後者は2010年、12月のもの、前者は昨日の記事だ。世のデジタル化が学校教育にも浸透し、ついに公立小学校で、授業にタブレット端末を全面的に取り入れる動きが本格的に始まったということだ。こんなことが一区長の判断でできるようになったのも、世のあらゆる分野でのデジタル化、それを可能にする環境の整備が進んだこと、デジタル機器価格の低減などの背景がある。
かっては文部省るものの存在があって、こんなことは一区長の判断ではできそうもなかった。しかし、現在それは「文部科学省」となったのだ。
初等中等教育のデジタル化はなにも我が国だけのことでなく、世界的な潮流、その教育成果が、国家の将来を左右しかねない情勢となってきたのだ。教科書のデジタル化は荒川区だけでなく、引用記事のごとく、総務省は2015年までに全国の小中校全員にデジタル教科書を配備する目標を掲げていた。今回の荒川区の取り組みもそうした国の目標に沿ったものなのだ。
私がこうした問題に興味があるのは、私自身、パソコン・ネット好きで、世のIT化・デジタル化・ネット化が、さまざまな形で世の中を大きく変えていくだろうということに大きな関心を抱いているからだ。そのことは一作日のBLOGでも書いた。
そのこともあって、私は近くの小学校にもう10年近く子どもたちにパソコンを教えるボランティア活動をやっている。一人でも多くの子どもにパソコンの面白さ、それを学ぶことの意味、大切さを教えたい、伝えたいという願いがあるからだ。
いま都の公立小学校、中学校にはは40台のパソコンが設置された専用教室があり、そこで、細々と極めて限られた時間パソコンの使い方が教えられているという現状なのだ。それでも、全くないよりはましなのだが、常々どうしてもっとそれに時間を割き、使えるパソコンの台数、教室も拡充しないのかと思っていた。しかし、それはコスト的にも時間的にも無理だということも理解していた。
ところが最近はそんなことを言わなくても冒頭引用のニュースのような状況になってきたのである。パソコンが設置された教室に行って授業を受けるのでなく、いつもの教室で、それもあらゆる科目の授業で、電子黒板とタブレットのデジタル教科書が使われた授業になるということなのだ。タブレット端末というが、それはまさにPC(パーソナルコンピュータ)、一人一人が自分専用に使える、使う状況になってきたわけだ。それが本当でそうでなくてはならない。
パソコンといい、タブレット端末といい、それを使う目的、中身はなんら変わることはない。インターネットに接続され、さまざまなアプリケーションソフト(学校の場合それは教科書なのだが)が入っているという点ではパソコンであれ、タブレット端末であれ、その使用目的からみてそれは同じものであっていい。
問題はそれをタッチで操作するか、キーボードマウスで操作するかだけの違い。その両方をうまく使わければいいだけのことだ。タブレットの場合、文字入力にせよなんいせよ、指先に加え、手書きペンを使うことが多いが、それが一つ大きな教育目的に適う面があることなど言うまでもあるまい。漢字を習うということなどがそうだ。ただ同時にキーボードを使い文字を大量にスピーディに入力することの大切さ自体はタブレットになっても何も変わることはないはずだ。
パソコンの場合は操作が難しく、それを扱える先生が少ないのが問題だ。それがタブレットになると操作が簡単だからいいなどと言われている。もちろそれはあろうが、元々そんなことは大した問題ではないのだ。
さらにタブレットを導入することで、先生本来の役割が変わるとか、場合によっては先生の数が足りないのをそれで補えるなどということは全く違うと思う。さらに生徒子ども達が問題をゲーム感覚で解けるので関心、集中力が持続するなどというメリットをあげているようだがそれも違うと思う。どっちにしても、子ども達そんなことにはすぐに飽いてしまうものだ。手段方法も大切だが、問題は子どもたちに、問題を説く面白さ達成感をどうあじあわせるかなのである。
教科書をデジタル化することで先生達はこれまで時間を取られていた、教材の作成、配布、採点などの時間が大幅に節約、カットできる。そして、その分、その時間をより個性に応じた自主的、創造的問題解決能力を指導できるはずなのだ。それで先生、教師の本来の役割がより重要になるということであって、デジタル教科書の導入で教員の不足を補う、能力不足を補うなどという考えは大間違いではないか。
tad
関係記事:
授業用タブレット全小中学生に配布 東京・荒川区 :nikkei
デジタル教科書を使う試みはすでに始まっている(北海道の小学校):nikkei
タブレット学習システム:sharp
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