以下はそのNHKの番組を見、そして関連資料を読んで得た感想である。
NHK番組の出演者のお一人が、関孝和の功績を説明する言葉として、「関が存在しなかったら、明治維新なるものは存在しなかったのではないか。すなわち逆に言うと彼が いたからこそ日本の今日がある」というものがあった。その時、私は、それは少々大 げさというか、その業績の大きさを過大評価していると思ったものだ。しかし番組でそ の内容をみたり、資料を読んだりするうちに、「なるほどそうかもしれない」と改めて 考えた。
あの鎖国の江戸時代、当時の教育、そもそも学校教育システムなど殆どない中でいかにしてそのさまざまな高等数学の知識、素養を身につけたのか、実に不思議な気がする。 それを天才的ひらめきによるものと言ってしまえばそれっきりなのだが、想像を絶する 努力と集中力の中から生まれたものには違いない。
自ら興味を持って学ぶということが全てのベースであったことは間違いないが、自然に集まった多くの門下生との対話や、彼らを指導育成する中で、想像力、創造力が 高ま っていったというプロセスが大切なのだろう。
あの時代、関孝和ほか数多くの和算学者がいたことは驚きだが、それが一部学者やそ の門下生だけでなく、日本全国で一般庶民の間に空前の数学ブームが起こったという現 象こそが驚きである。そのブームとは教える側が問題を考え、その解答を求めると言う うことだけでなく、多くの数学マニアが、問題作りを競うという形をとったことだ。
12歳の子どもが考えた数学問題が神社の絵馬になって奉納されると場面はまさに驚 きであった。いや、それで江戸時代の数学ブームが、本物であったことがよく分かるの である。
このことをとらえて出演者のお一人が、今の日本の学校教育、受験試験制度の批判をされていたが、まことに同感である。今の入試のための試験、試験制度などがそうだ。そ れは数学に限らないが、ただ試験する側が問題を考え、その解答を求めるというより、 自ら問題を考えるということをする方が、はるかに創造力を高める教育になるというこ とだ。問題は与えられるものでなく、自ら何が問題なのか考えることが、一番大切なの だ。
私は中学・高校を通じて数学なるものが一番の苦手であった。父はその頃はもう、学校教育行政にか関わる地方公務員の身であったが、元はと言えば、数学の教師。兄弟が7 人もいたから、勉強を教えてもらう時間など殆どなかった。しかしそれでもたまには数 学の宿題の問題などに取り組んでいると、教えてくれたものだ。それはいいのだが、一 旦問題解きの解説が始まるとその時間の長いこと、こっちは答えさえ早く出したらいい のだ。
習った公式を適用してさっさと計算して答えを出せばいいものを、父はじっくり その公式のできた意味内容の説明を始めるのだ。それをイライラしながら聞いていた覚えが ある。そんな自分がどうして数学が苦手であったか、わかったのはずっと後になってわ かったのである。
当時は公式とか定理とかいうものは記憶するもの、覚えておくものだと思っていた。一番肝心なことは、その論理、論理過程をきっちり理解しておくことである。そのために は与えられた問題を解くというより、むしろそれに関わる問題が作れる位でないのとダ メなのだ 。
話は少々ずれてしまった。私は関孝和の数学界におけるは業績はたしかに奇跡的なものだが、しかしそれはただ彼が生まれついての天才であったの一言では片づけられないも のがあると思う。
昨日のNHKのような番組、もっと多くの人が見てその内容が示唆していることを考えてみよう、みるべきだと思うのである。学校の先生は子供に授業でどのように子供に接したりいいか、大学で教授がゼミの学生を一体どのように指導したら、これからの日本、次世代を背負って立つ人材が育成されるか、考えるヒントを与えてくれていると思うのである。
関係資料:
BS歴史館 江戸のスーパー日本人関孝和 世界水準の“和算”を創り出した男:nhk
関 孝和:wikipedia
江戸の数学: ndl
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