2013年6月27日木曜日

参議院のねじれ維持こそ必要である

終盤参議院で、安倍内閣問責決議が可決されたが、このニュース、どのマスコミも大きな出来事として捉えていないことはその報道のスタンスでもわかる。どうしてそれぞれ与党よりでもいい、野党支持でもいい、その政治的意味について論評しないのか。昨夜夕刻の安倍首相の記者会見など見てももそうだ。ただその事実をある意味淡々と伝えるだけなのである。

ことは国会という最高の国家意思決定の機関の片翼、参院の問責決議なのだ。安倍首相、自公政権にとっては今の参院の問責決議など痛くもかゆくもないのだ。いや、かえってそれはこれから始まる参議院選挙を有利に戦うためには都合のいいことなのだ。それを言いがかりに、だから参院のねじれ現象の解消が必要だと訴えるつもりである。以前政権の時とちがって、そんなことに全く悪びれることもなくぬけぬけというその発言しているのである。

安倍首相いわく、安倍内閣発足以来進めている大胆な改革、さまざまな経済、金融、財政策、そして成長戦略をおし進めるためには、「スピード感」こそが大切である、と。だから、何かことをやろうとすると、それに立ちはだかる、参院でのねじれは困る。今度の参院選ではそのねじれの解消が必要なのだ、と言う。この言い分、現状の60%台の内閣支持率国民世論をもってすれば、「そうだ、そうだ」となるかもしれない。それがこの国の今の政治状況なのだ。

それは困る、それは大いに大変な、困ったことだという思いを持つのは私だけだろうか。
実はむしろ安倍総理や自公政権中枢部の連中はそれをしめしめと思っているようだ。参院も実に軽く見られたものだ。マスコミはともかく国民はどう思っているのだろうか。こうした参院軽視の風潮、それこそが一つ深刻な事態であるという危機感をどうして持たないのだろうか。

今回の問責決議、やはりそれは党利党略的な野党の選挙対策的なものだったいう見方も当然ある。しかしそれは与党とて同じ。しかしそのいきさつを見れば、野党が一致してそれを通したことにはそれなりに筋が通っている。参院の予算委員会で、民主党委員長が職権で開催を宣言したのに安倍内閣がそれを無視、欠席という挙に出たことである。これが国会軽視、参院軽視とみられてもいたしかたないし、事実そういう雰囲気ではなかったか。
情けないのは腰抜けの民主党、当初問責決議が出たら賛成するが、その提出には加わらなった。電力事業法改正案を通したかったからだ。それで自分達の主張が通ったところを国民に見せたかったのだろう。それで日本のこれまで独占体制であった電力供給が根本的に変わる、変えられるということだった。

本当にそうなのか。第一自民党自体この法律の改正に、どこまで本当に賛成であったかどうかわからない。自民党はなにしろ電力会社と密着いや融着と言っていい関係にあった。これまで積極的に原発推進路線をおし進めてきた政党なのだ。多くの国民はそのこともとっくに忘れている。

福島原発の事故だって、むしろその最大の責任は歴代自民党政権そのものにあると言っていい。それがうまい具合に(?)あの事故、民主党政権時代に起こったのだった。そのことについてはまさにそしらぬ顔で、安倍政権今や原発推進を公然と言い出した。安倍首相あらゆる国との外交を積極的に推進することは大いに結構、しかしそれと同時に今や、国内の原発再開、原発輸出を大きな成長戦略として組み込んでいるのである。どうしてこのことに民主党を含む野党は一致して、ノーの声をあげないのかだ。一部野党を除いて殆どの現野党はそのことだけでまとまっていいはず。それがどうしてできないのか。

再びいうが、民主党の情けなさは原発問題だけない。まあそれについては党としても必ずしも脱原発路線でかたまっているわけでないから、それはちょっと横においておいてもいい。

しかし例の、一票の格差是正に関連する衆議院定数削減のこと、税と社会保障の一体改革の三党合意のことなどでは自公に煮湯を飲まされたはずだ。野田前首相本会議で全くさえない質問をやっていたが、野田さんまさにドン・キホーテに見えた。野田民主党、増税という一番いいところだけつまみ食いされ、後の重要な合意などすべて反故にされたのだ。どうしてそのことにもっとまともな怒りをぶつけないのか。そのことだけでも自ら問責決議案を提出してもいいだけの理由、根拠はあったはずなのにである。

安倍総理自民党は、あんな問責決議など痛くもかゆくもない。これで参議院選挙は現状の高い支持率をバックに有利に戦えると踏んでいるのだ。実際にはそうかもしれない。今更ではないが民主党もなめられたものだ。

その民主党、先の都議選で共産党にぬかれ第四党に転落したのはなぜか、実はその理由が分かっていないふしがある。安倍自民党の対立軸として世論を味方につけるために絶対に譲ってはならぬ理念、政策がいくつもあるのに、それを一向に鮮明にしない。できないのである。

参議院での自公与党の過半数を阻止するためには、野党は民主党、みんなの党、生活の党、社民党などと共同戦線を貼れるはずだ。例えば原発推進か、消費税増税か、TPP推進か、社会保障政策などについて、明確な対立軸がどうしてできないのかである。共産党は独自路線を行くだろうが、原発、消費税に関して共同戦線を張れる余地はあるはずだ。

自公両党で過半数を制した後の日本の政治がどうなるか、考えただけでぞっとする。安倍首相はねじれを異常現象のように言うがそれは全く違う。欧米の先進民主主義国多くの国ではそうしたねじれ現象はむしろ当然のことなのだ。民主主義というものが政治の根本的理念である限り、むしろそうなるのが必然だとさえ言っていいのではないだろうか。

与野党政治勢力が絶えず拮抗していることこそがむしろ健全なのである。その中で政治がどう展開していくか、まさにそれは優れた政治家のリーダーシップにかかっているいう抽象論しかない。いやそうなのだ。

今回の参議院選挙で、このねじれ現象の維持こそが今の日本の政治、国民の選択がめざすべきことだと私は信じている。

tad

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