2013年4月10日水曜日
コンピュータが将棋名人に勝つ日
今年も将棋名人戦が森内俊之名人、挑戦者羽生善治王位の間で始まった。羽生ファンの私は、昨年、一昨年と羽生さんが負けたのが残念で、今年はなんとか名人に復帰して欲しいと期待を寄せているところである。
将棋界にとってはこのニュースと並んで、ある意味もっと重要なニュースがある。4月6日、5人のプロ将棋棋士が、コンピュータ将棋ソフトと団体戦で戦う「第2回将棋電王戦」の第三局があり、船江恒平五段がコンピュータ将棋ツツカナに敗れてしまった。これでプロ側が一勝二敗、あと一つ負けると将棋プロ側がコンピュータに負けてしまうという事態になったのだ。
名人戦もさることながら、すべての将棋棋士、将棋連盟として、これは重大なこと、深刻なことあることなど言うまでもなかろう。なにしろプロ中のプロと自称、プライドを持つプロ棋士集団がたかだかコンピュータ将棋に負けてしまうのだ。
同じようなことでは、16年前の1997年、チェスの世界選手権者がコンピュータに敗れるということがあった。
それはチェスのこと、将棋はチェスに比べてはるかに高度にして、複雑なもの。高度のもの、コンピュータ将棋が人間に勝つことはまずは当面なかろうというのが一般的な見方だった。ところが、最近はそのコンピューター将棋がものすごく強くなり、これではひょっとすると、数年後には名人クラスとて、コンピュータに負けてしまうという事態もありうるということになってきたのだ。
これがある意味将棋界、棋士たちにとって死活問題であることはいうまでもなかろう。チェスのチャンピオン存在価値そのものが、それで相対的に下がってしまったということはあっただろうし、同じことが将棋界でも起こるのか、である。
それはあるかもしれない。しかしその一方で、それがきっかけで、ますます将棋というものの面白さ、奥の深さが改めて見直されるかもしれないのだ。それでかえって将棋人口が増えるという結果になるかもしれない。私自身ヘボだが、たまにネットで将棋を指す。だから、分かる。コンピューター将棋が強くなったから、ゲームとしての将棋のおもしろさが失われるとは思わないのだ。
コンピュータ将棋などという言い方自体が少々おかしい。そもそもコンピュータが将棋をさしているのではない。それはコンピュータという情報処理のマシーンを使うプログラマーの仕事なのだ。その論理、ロガリズムを構築し、そのプログラムで将棋のコマを動かしているのだ。
棋士が指す相手はコンピュータという機械でなく、プログラマーという高度な技術を持つ人間なのである。それはやはり人間同士がその頭脳の優秀さを争うスーパーゲームなのである。将棋棋士、そのプロが、コンピュータという情報処理、一秒間に何千万回というデータ処理のスーパーマシンを操るプログラマーに負けたところで、一体なにが恥ずかしいのだろうか。さらに負けたところでそれを悔やむべきことなどどこにあろうか。それはお互い将棋というゲーム、それはまさに内容のある奥の深いゲームであることの証明だと捉えるべきではないのか。
今私はこの二つの将棋戦、名人戦と電脳戦の行く末を大いなる興味を持って眺めているところだ。どちらがどうなってもおかしくない。名人戦の方はいい。どちらが勝ってもそれでいい。人間同士の戦いだから妙なハンディなど一切ない。
一方電脳戦、コンピュータ将棋が仮に勝利したとしても、ただそれを将棋界にとってマイナスなどと捉えることのないようにすべきではないのか。第一その戦い自体ある意味ハンディ戦ではないのか。生身の人間と、データ処理に関しては、正確無比のスーパー処理能力を持つコンピュータというハードウエアの戦いなのである。
それはむしろ将棋界だけのことにとどまらない。それはあらゆる意味でコンピュータというものが人類社会の発展のため、その情報処理技術がどのように使われたらいいか、いくつかの可能性を示しているものだと捉えるべきことではないのか。
tad
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