2012年5月19日土曜日

左手の奇跡:ピアニスト舘野泉さん

今朝ニュースをチェックしていたら、NHKオンラインニュースの中に「ピアノに新たな歴史を刻む"左手のピアニスト”舘野泉さん」の記事があった。5月22日放送予定番組の紹介記事だ。これは必見と、さっそく録画の予約をした。 舘野泉さんのことはもちろんかなり以前からよく知っている。以前にも何度かNHKの別の番組で音楽家としての活躍ぶりを拝見している。左右両手がそろっていても難しい音楽演奏を左手だけで見事やってしまわれるのはまさに奇跡である。どうしてそんなことが可能なのか、この記事の説明である程度なるほどとは思う。

しかし、プロのピアニストはもちろんだろうが、多少ピアノという楽器に触っている私などのようなものにとっては、舘野さんが左手だけで弾いておられる演奏を聴くと、それが左手だけで演奏されているとは信じがたいもの、すばらしい演奏なのだ。 こんなこと理屈では実際に聴いてみられたらいい。YouTubeにその演奏がいくつか掲載されているのでご参考に供する。どう聴いても左右両手で弾いておられるとしか聴こえないのだ。 これはもちろん「楽器の王様」ピアノにしてできることには違いない。ピアノとは左右両手で弾くもの、分かりやすく言えば主に左手で和音伴奏を弾き、右手はメロディを弾くものだ。もちろんそれが逆になる場合もあるが、いずれせよ両手がそろっていて初めてその演奏が完結するものと思っていた。ピアノの先生はそう教える。左手は左手、右手は右手でパートを分け、それぞれ別に練習するのが伝統的やり方だ。 

ところが舘野さんは、左手だけしかお使いにならない。NHK記事には親指と人指指がメロディを担当し、残りの指が和音を担当するのだある。いや、実際にはそんなことにとらわれず、あれだけ広い音域の鍵盤はケース・バイ・ケース、曲の内容、進行の中で、それぞれの指はその必要性に応じて弾き分けるということなのだろう。 左手だけの演奏が可能なら、右手だけの演奏も理屈としては全く同じである。要するに指は5本さえあればいいのだ。 身体的ハンディキャップを負いながら、世界一流のピアニストになったもう一人の例が盲目のピアニスト辻井信行氏である。全く別の次元のことになるかもしれないが、これまた私ら通常人にとっては奇跡としか言いようがないことである。

 このお二人の音楽家の存在こそ、私たち日本人は世界に誇っていいことではないかと思うのである。その奇跡を生んだのはまさにその超人的なその技術力があるからこそなのだが、それを生むベースとなっているのは、その感性のすばらしさなのだ。 神は生まれてくる人間には平等に基本的な身体的能力と、精神的な感性を与えてくれている。それが普通だ。それは別に音楽の分野のみならず、あらゆる人間は、生きていく上で必要な能力、人生を楽しむための感性を持って生まれてきているはずなのだ。しかしそれをどう開花させるかは、それぞれの人のその後の生き方、その努力次第ということなのだ。その努力次第で、仮に大きな身体的なハンディがあってもそれを補ってあまりある潜在的能力も備わっているということなのだ。 

こんなことを書くのは、そうした天才の方に大変失礼なことかもしれない。しかし、そうではなく普通に生まれた人間ほど、その本来の意味を理解というか、認識しないで、不運を嘆いたり、その不運を必要な努力をしないことの言い訳に使ったりする愚を戒める教訓としたいということである。 完全な10本の指を持っている自分、その有難さを十分かみしめながら、舘野さんの奏でる演奏の百分の一位にでも達することができるべく努力すればいいのだと、改めて、自ら戒めることができる。それはマンネリになりがちなピアノ練習に、改めて心気一転励む大きなモーチベーションとなる。

 tad

 関係記事: ピアノに新たな歴史を刻む: nhk
 舘野泉: Wikipedia
舘野泉 Scriabin Nocturne for left hand:YouTube
舘野泉3つの聖歌~アヴェマリア/カッチーニ~:YouTube