2013年2月28日木曜日

政府検討の留学支援制度に賛成



「政府は、海外への留学を希望する大学生全員に対し、年間の留学費用の3分の2を無利子で貸して支援する「官民ファンド」を検討し始めた。2014年度にも留学支援をスタートしたいという。安倍政権が力を入れる「成長戦略」の一つで、日本からの留学生を増やし、世界で活躍できる人材を多く育てるねらいがある。

まず政府と企業がそれぞれお金を出し合ってファンドをつくり、大学生の留学希望を受け付ける。米国に留学する場合、学費や生活費などで年間300万円ほど必要になるため、200万円ほどを無利子の奨学金などで貸すという。

文部科学省によると、日本人の海外留学生はピークの04年には約8万3千人だったが、09年には約6万人まで減った。不況などで留学費用を出せなくなったり、学生が「内向き志向」になったりしているという。」朝日新聞 2月27日

コメント:

同じアジアの国でも中国や韓国の学生が大量に米国などの大学に留学しているのに、日本の学生は極めて「内向き」なのだ。2月18日のBLOGhttp://blogs.yahoo.co.jp/tadhayase/62089837.htmlで日本の大学生が一日30分しか勉強しない情けない状況を書いた。米国や韓国や中国の大学生はもっと勉強するのである。そんなことではそもそも大学に入った意味がないし、そんな大学では将来日本を背負って立つ人材は育たない。勉強もしないで就職活動ばかりやっている今の日本の大学、大学生は全くダメなのだ。

そういう意味でも米国とは限らないが、外国の大学に学ぶこと、外国の文化に触れることは日本を開かれた国にするため、世界で活躍できる日本人を育てるために、外国の大学に学び、刺激を受けたり、新しい発見をすることは是非必要なことなのだ。そういう留学経験者をより重く用いる風潮が、民官を問わず採用する側に必要なことなのだ。留学ということ、単に語学研修のためとか、いわゆる箔をつけるためとかでなく、国際的に通用する人材を育てるためという認識がより一般的になってしかるべきだ。

そういう意味で今回政府が留学支援制度を打ち出したことは大賛成である。官民フアンドなるもの意味、中身がいまいちよくわからないところがあるが、どんな形にせよ官民が一体となって、こうした支援活動を政府が展開することはたしかに重要成長戦略の一つだと思う。

こんなことがどうして成長戦略になるのかといぶかる向きもあるだろう。それは要するに国家の長い目で見た経済成長のためには、ますますグローバル化の社会にあって世界的視野で世界の企業、あらゆる世界の舞台で活躍できる人材を育てることこそが急務であり必須なのだ。そのための留学支援制度なのである。

そのためには日本からから留学だけでなく、外国からの留学生を支援すること、外国学生への支援制度を強化することもさらに大切では。どこからの国であれ、日本への留学生が増えることは、将来それが目に見える形、見えない形で、日本のために役に立つことは必定だ。留学生が増えること自体、少子化で学生の数の減少に悩む大学、大学のレベルの維持、大学の活性化のためにも必要なことではないか。

この記事では年間300万円の費用をどうするかなどということになっているが、4年間留学するためにはその4倍の費用が必要になる。これはなかなか大変だ。4年間通してということが無理であれば、二年、三年を日本の大学で、最後の一年または二年をを米国の大学などで学び、その大学の卒業資格を取るような制度を確立することも必要ではないか。そうしたフレキシブルは制度は米国の大学側には十分存在しているようだ。

問題は日本の大学だ。要するに日本の大学、米国の大学の制度をよく研究し、日本の大学で取った単位が留学先の大学で認められるようにしていくことだ。いやそうした制度は現実米国の大学間では当たり前になっているし、外国の大学ともそうなっているはずなのだ。だから、日本の大学で二年間、学び残り二年を米国の大学で学びそこで卒業資格を得ることもできるはずだ。

米国大学、外国大学の卒業資格ということについても問題がある。日本の社会ではでは米国ほか外国の大学を卒業してもそれを資格と認めないようなところがある。日本といいアメリカといい一口に大学といってもさまざまレベルがあることは事実だろうが、上記の単位を相互に認める制度の確立ということにも関連するが、日本では米国の大学を卒業したら日本の大学卒業と同じようにそれを認めるような制度というか慣習の確立が必要ではないか。

この問題さすがに例のTPPの交渉の中身の一つにはなっていないようだが、仮にそれを認めることが日本文化や制度の破壊につながるなどという考えはやめるべきである。日米の大学の交流を深めること、留学生の交流を深めること自体、間違いなく日本の大学のレベルアップにつながるし、勉強しない日本の学生への警告、刺激ともなろう。米国の医師、弁護士の資格をそのまま日本でも通用するようにせよ、などという話とちょっと次元が違う。たかだか、大卒か、高卒かというレベルの話なのである。要するに就職の条件の一つが大卒か否かということなら、米国大学卒も、日本大学卒にもなんの差もつけないということが必要だ。

官民フアンドなるものの意味がいまいちわからないと書いたが、要するにこうしたプロジェクトへの政府の関与もさることながら、民間企業からのより積極的な参加が望まれることには変わりはない。経団連他経済団体はTPP参加に賛成のようだが、それがより開かれた経済社会をめざしているということであれば、そのための環境作り、もっとも重要なこうした人材育成のためんほ留学支援制度などについてもっと積極的な資金支援の施策を展開して欲しい。

教育充実にカネを掛けることが成長戦略の柱だという考えは正しいと思う。そういう意味でも、民主党政権が高校無償化実現したことの意味は非常に大きいと思うのである。自民党はそれをバラマキと言ってさんざん批判したが、今やその立場は変わった。高校無償化どころか、より大きなバラマキとの批判も免れないこんな留学支援制度を打ち出した。しかし実際にはそんな中身、教育投資の額としてはしれたものだ。

安倍内閣、グローバル化する社会に通用する人材を育てるためにもあらゆる教育分野、初等中等、高等分野への積極的な投資を惜しまないことだ。補正予算が国会で通った。四野党がそれがいわゆる従来型の公共投資に偏りすぎているという修正案を提出したが否決されてしまった。

たしかにもっと、コンクリートより人への投資の比重が高くなるべきではなかったか。

tad

関係記事:

官民フアンドで留学支援:asahi  2月27日

2013年2月27日水曜日

写真の整理に関する調査:PC406


「昨日の読売新聞に「写真の整理どうしてる?」というインターネットコムとgooリサーチ結果記事が出ていた。

記事をそのまま引用すると:

・調査対象は、全国10~60代以上のインターネットユーザー1,088人。男女比は男性53.1 %、女性46.9%。年代比は10代16.4%、20代18.2%、30代21.6%、40代16.3%、50代15 .5%60代以上12.0%。

・使うカメラの種類、コンパクトデジタルカメラ」70.4%(766人)、「携帯電話」46.1 %(502人)、「iPhoneなどのスマートフォン」37.0%(403人)、「デジタル一眼」14 .4%(157人)、「フィルムカメラ」6.0%(65人)、「iPadなどのタブレット端末」5. 7%(62人)、「その他」1.3%(14人)。 

・「その他」以外のユーザー1,074人に、どのように写真データを管理しているかを聞い た。ユーザーの大半を占める84.4%(906人)が「パソコン」と回答した。一方で、iPad などのタブレット端末で管理する人は4.4%(47人)で、少数派であったことが分かった 。
・「パソコンで管理する」906人は何を使って管理しているのか? 一番多かったのはハー ドディスクドライブ49.4%(448人)で、フラッシュメモリー30.5%(276人)、PC内臓の整 理ソフトが28.5%(258人)と続く。DVDメディア9.8%(89人)、CD-R 12.7%(115人) と、目に見える媒体で整理している人も意外と多かった。

要するに:

・写真を撮る人のうち84.8%の人がデジタルカメラ、スマホ、携帯などを入れると9 4%がデジタル機器を使っている。
・撮った写真の整理・管理については84.4%の人がパソコンを使っている。
・パソコンを使う場合79.9%の人は、パソコンのハードデイスクかメモリーステイッ クに入れて管理している。

いや、ごもっとも、ごもっとということだ。こんなんなこと極めてわかりきった結果なのだ。インターネットコムだ、gooなるネット関連会社が調査を行うのであれば、どんな機器で写真を撮るのかとか、撮った写真を何で、管理・保管するのかというだけでなく、もっと重要な関心事について調べてもらいたいものだ。このネット社会時代のユーザーが写真を撮るという行為を調べるのなら、もっとその調査の中身があっていいはずだ。

例えばである。

・デジタルカメラ、携帯、スマホなどなどが普及した結果、写真を撮るということをより 多くのまさに大量の人がそれを行うようになった。その撮った写真をどこに保管するの かということもあるが、もっと重要な関心時は、そもそも一体なんのために写真を撮る のか、撮った写真をなんのために利用するのかということである筈だ。

・その動機とはただとりあえず記録のためにとっておく、記念のアルバムを作る、サーク ルやクラブの仲間と共有する、家族と共有する、BLOG、SNS、ツイッターなどの 記事を掲載するために使う、などなどあろう。そうした内容を一つ知りたいのだ。それ で、これからのネット社会というものの実態、消費者行動を見たいのである。

・撮った写真の処理という点では、おなじく技術論には違いないが、そうではなくそれを それをどこに保管するかもさることながら、それをプリント印刷する形にするのか、そ のままの形で、また加工した形で、メール、SNSなどネット上で利用するのかという ことがある。それが一つ大切な関心事である。

・プリント印刷するという場合でも、自分が保持するプリンターを使ってやるか、街の
 プリント専門店や、コンビニでするのかということもある。さらに最近は格安のネット プリントサービスも登場していて、これが案外これからの本命であったりする。

・撮った写真はパソコンに保管するのが一番いいのは当然として、ただ保管するというよ り。その保管、保存をどう安全に行っておくかという問題がある。この調査でもハード デイスクに保存が主流を占めているが、そのバックアップをどうしているかがパソコン に保存する場合常に大きな問題なのである。そのための手段として最近リモートストレ ージ、いわゆるクラウドサービスが普及し始めているが、どうくらいの人がそうしたサ ービスの中身を理解し、利用しているかどうかの実態も是非知りたいものである。

・クラウドサービスということに関してはただ、ネット上に安全に保管するということで なく、それが写真の共有、公開のために非常に便利だということがあり。いや、安全な 保存、より簡単にそれを取り出して使うという点では自分のパソコンの中に入れておく より、クラウド上に保存しておく方が、実は費用もかからないし、便利だということも ある。第一ネット上に保存するといってもなにを、それを公開する必要など全くないの である。百%ただ保存目的でいいわけだ。どうせ保存するのならその方がいいというこ ともある。

・BLOG、SNS、ツイッター、Evernote、それがなんであれ、日常生活の記 録として、写真をそういう形で保存しておくことは今や極めて簡単かつ便利になってい る。そういうネット保存のことをどれだけでご存知なのかご存知でないのか、またどれ くらいの人がそうしたものを活用されているのかいないのか。そういうことも是非知り たいものだ。

旅行に出かけても写真を撮ることばかり気を取られて、本来の景色を楽しむことを忘れてしまっていることが多い。私自身がそうだ。ただそうして撮った山ほどの写真、結局そのままパソコンに保存すること位で終わってしまうことが多い。これについては私の場合
そうしたクラウドサービスを少しは活用している分、人様よりましかもしれない。

それをどんな機器で撮るのかとか、撮った写真をどこに保存するか、なんてことより、一体そもそもなんのためにそれを撮るのか、それをどう自分の人生記録の一部として使用するのか、しないのかということをもっと調べて欲しいというのが今朝のBLOGの本意である。

撮った写真をどうするか、そう処理するかの技術論はその先いくらでもある。特にクラウドサービスについての話など今後とも大いにやっていけばいい。パソコンクラブなどでもやるつもりだ。それはそれでいい。それ自体趣味として楽しめばいいことだ。

ただこの冒頭記事を見て感じたことはそもそも一体なんのためにあらゆる場面で写真を撮りまくるのかということである。

そのことをまず自分に問いかけたいし、この際このBLOGでも問いかけておきたい。ただまずそれは自身のことである。

一つ一つその場の記録を残す中で、一体それで何を訴えたいのかを考えながら撮ることを心がけたいと思うのである。そうすれば、それをどこにどう保存するのがいいか、そしてそれをどう利用するかについての答えは自ずから出てくるだろう。

tad

関係記事:

「写真の整理どうしてる?」:yomiuri 

2013年2月26日火曜日

私が切望しているな15インチタブレット端末:PC144

昨日だか某有名パソコン誌のアンケートが送られ回答を求められらた。ポイントは二つあって一つは、パソコン、タブレット端末、スマホを保有しているかということと、その3つのデバイスの使い分けのことだった。それともう一つは、すでにWindows8を使っているかどうかということと、そのメリットをどう評価しているかという内容だった。
それをそのまま引用し、私自身の回答内容をBLOGで書こうと思ったのだが、考えてみるとそれは、このパソコン誌の企画内容をある意味事前に知らせてしまうようなことになるし、まずいと思いやめた。

ただ一般論として、そうしたテーマ、問題は常日頃考えていることでもあり、そうしたテーマについて自分はどうしているか、どう考えているか改めて書いておくことは自体別に問題ない、今朝はそのことを書く事にした。

まず、パソコン、タブレット端末、スマホの3つを持っているか、それをそれぞれどう使い分けているかというテーマである。例えば、メール、インターネット閲覧、BLOGへの投稿、SNS、ツイッターへの参加、そのためのさまざまなパソコンワークをそれぞれ3つの機器をどう使い、使い分けてやっているかだ。

私の場合だと、それを外で使うのは旅行と一部パソコンクラブで使う位だから、パソコンワークとなるとほぼ全面的に自宅のパソコンでやることになる。そうしたことは全て書斎にセットされたパソコン(デスクトップ)でやるのが普通だ。なにしろどんな仕事をやるにしても、パソコンでやることに慣れているし、そのためわざわざタブレットを持ち出したり、ましてやスマホなど使うことなどめったにない。そういう意味ではそもそもなんのためにスマホ、タブレット端末などを持っているのかということになるわけだ。タブレットは孫のおもちゃになっているし、スマホの場合、外出の際の通話で使っている位、後はやはり旅行時などのテザリング機能利用という程度である。いや無駄といえば、無駄でもそれでいいではないかと割り切っているところだ。

いや、実はそうした傾向は会社内とかその他職場で仕事をしている人も同じではないか、あらゆるデスクワークは机の上の自分のパソコンでやっているはずなのだ。私的なこと、例えば個人メールなどはスマホや携帯で、仕事の合間にやっているということなのだろう。もちろん外出や、通勤時などはタブレットやスマホで主にネットの閲覧をやるということ位に違いない。

ただ職場での仕事も殆どパソコンでやってきたのだが、タブレット端末の登場で、それをパソコンに変えて使うことが増えつつある、いやこれからそれが本格化するだろうということは間違いない。徐々にそれが本格している。2月25日の日経コンピュータ誌に「企業向けタブレットが続々登場」という記事が出ている。そうだろうと思う。

同じビジネスユースでも、パソコンを経理部や総務部のスタッフが使うのと、営業マンが営業用にそれを持ち歩くのでは全然話がちがってくる。自宅には保険会社や自動車の営業の方が時々来られるが、そうした方、これまでだと従来型のノートパソコンを持ってこられた。それでさまざまなデータを示したり、見積書などを示す場合は、あのノート型パソコンでは結構大変というか、格好がつかないのである。ありていに言えば、キーボードが邪魔なのである。「はい、こうです」と、タブレット端末のように画面だけ、すっきり格好よく見せるわけにはいかないのだ。

実はそのことは営業マンだけでなく、その他事務部門の人も同じことなのだ。パソコンを自分の机の上で使っている間ははいい。さてこれが会議だとなった時、パソコンを会議室に持ち出すと場所はとるし、会議室全体がどうもみっともない格好になりかねない。それがタブレット端末だと、互いの邪魔にならないし、閲覧もしやすい、文字入力もやりやすい。

企業が従来型のパソコンをやめて、タブレットを導入しようというのはそういう背景がある。従来の仕事が全部こなせ、しかも会議だ、営業用だのとなった時の使いやすさ、さらにサービス業のマニュアルなどとして使う場合(キャビンアテンダントなど)、タブレット端末の方がはるかにその目的に適していることは明白であろう。

その場合マニュアルなどの用途だと現在の10インチタブレットで十分なのだが、一般業務用となると従来ノートパソコンの定番ともいうべき15インチ前後の位のタブレットがあれば理想的なのだ。デスクワークとしてはそれを専用キーボードやマウスとセットで使えばいい。会議だ、営業用だと外に持ち出す時は、少々大きいがそれは従来のPCも同じそれがタブレットだと重さは半分になる。画面部分だけ持ち出せばいいのである。

それに客への説明にもより楽になるし、会議でのプレゼンテーションなどそれを大画面のTVやプロジェクターなどにつないで、説明すればいいのである。

いや、それは企業向けに必要というが、実はもしそうした15インチ前後のタブレット、しかも使い慣れたWindowsタブレット、今やそれはWindows8になるが、それがあれば、パーソナルユースにも適している私など是非欲しいものである。机の上ではパソコン、外ではタブレットなどということでなく、自分の机の上でも、パソコンクラブなどでの外での利用にも、そのタブレット端末一台あればすべて事足りることになる。

机の上ではそれを無線キーボードとマウスとのセット利用、さらに大画面欲しければ21インチのデイスプレーを併用すればいいのだ。自宅で大画面のデイスプレー併用であればそれであれば高機能、ハイスペックの10インチタブレットでもいいのである。

10インチタブレットのものはすでに出ているがそれはやはり、Windows8というものが望ましいのである。と、いうのもそれでこれまでつかってきたWindowsパソコンのハード周辺機器、あらゆるソフトがそのまま使えるからである。10インチタブレットとなるとアンドロイドのものは4、5万円で購入可能だが、Windows8となるとまだ6万、7万円というのが相場か。まあそのうち価格が下がってくるだろうが・・。
ただ私自身にとって理想のタブレット端末とはやはりは15インチ前後でWindows8搭載のものだ。このこともこれまで何度も書いたが、ノートパソコンとコンパチ、両用であるというタイプはすでに何種か出ている。それは価格的には12万前後と高額である上に、どうも中途半端なものが多いのだ。

いや、そんな両用である必要などさらさらない。むしろタブレット端末そのものでいいのだ。15インチサイズのものなどまだ登場しないのは、そうしたサイズのタブレットとしての部品供給がないからと聞いている。現在市場に登場しているそうしたサイズのタブレット端末はたしかにタッチ機能はついているが、10インチタブレットのような強固なガラス面のタブレットではない。それはあくまで従来ノートの液晶画面の延長なのだ。

タブレットと称する限り、7インチ、10インチのように強固なガラス面仕様のものであって欲しい。液晶画面に保護フィルムを貼って使うようなものであっては困るのである。
画面15インチ前後のサイズ、それで7インチ、10インチタブレットと同じような強固ガラス面の表面、しかもハイスペックノートと同じ性能を備えたものが欲しいのである。それを無線のキーボード、マウス、さらに20インチ大画面デイスプレにもつないで使えるようなタブレットの登場を私自身は待ち望んでいるのだ。

そうしたものなら、自宅でも旅行の場合でも、あらゆる目的に使えるものである。あとは通信関係の環境をどう整えるかである。自宅や職場というか私の場合、クラブの会場などなのだが、それは全く問題なし。旅行先では公共の場所の無線LAN、ホテルなど通信施設の利用、さらに持参のモーバイルルータ、またはスマホのテザリング機能利用ということになろう。

tad

関係記事:

企業向けタブレット端末、選択の決め手:itpro 
タブレットOS選びが最優先:itpro


2013年2月25日月曜日

既定路線のTPP交渉参加


「TPP交渉参加 今週にも表明:

NHKの「日曜討論」で、菅官房長官は、日米首脳会談で共同声明が発表されたTPP=環太平洋パートナーシップ協定への交渉参加について、「自民党内の理解は得られると思う。そんなに長引かせる必要はない」と述べ、安倍総理大臣が今週にも交渉参加を表明することになるという見通しを示しました。

この中で菅官房長官は、日米首脳会談で、TPP=環太平洋パートナーシップ協定を巡って、「すべての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではない」などとした共同声明を発表したことについて、「安倍総理大臣が日本をたつ前には、共同声明を出せるかはっきりしないほどぎりぎりの協議だったが、首脳会談で意見が合ったようだ。日米関係を再構築する第一歩を踏み出すことができた」と述べました。
そのうえで菅官房長官は、「衆議院選挙で約束した『聖域なき関税撤廃が前提であるTPP交渉には参加しない』ことが基本だった。その前提がなくなったのだから、党内で理解を得られると思う。全く問題ない。そんなに長引かせる必要はない。安倍総理大臣も長引かせる意向ではないと言っている。あす、自民党の役員会に報告して、その状況しだいだ」と述べ、安倍総理大臣が今週にも交渉参加を表明することになるという見通しを示しました。」nhk

これが安倍自民党内閣と菅、野田前民主党政権の違いだろう。野田政権の時は、TPP参加の是非をめぐって党内が真っ二つ、それで実際に党が割れてしまった。世論もそれにつれてTPP参加については賛成・反対が二つに割れていた。自民党はその状況ががわかっていた。先の選挙の時、自民党の200名近い議員は、どちらかというとそれには慎重、さらに反対の立場であったはず。第一TPP参加を標榜していた野田民主党に対決するにはそれが得策、そしてそれが地元JAなどから支持を受ける条件でもあったはずだ。

それを菅官房長官、「衆議院選挙で約束した『聖域なき関税撤廃が前提であるTPP交渉には参加しない』ことが基本だった。その前提がなくなったのだから、党内で理解を得られると思う。全く問題ない」とまさに単純明快に集約してしまった。反対表明をしてきた議員もこれで矛をおさめざるをえないようなジェスチャーをとっておればそれで事足りるのだ。橋本維新共同代表、「これは日米会談の成果というより、党内向け。党内手続きを進めるために一歩一歩すすめたものであり、ものすごい政治手腕だ」(朝日新聞)とコメントしていた。そうなのである。これがあの民主党政権の未熟さとの違いなのだ。中身などどうでもいい。ようするに世論を上手く操作することが肝要なのである。

ツイッターなどでは、これで自民党の反対議員200名が反乱を起こすようなコメントが飛び交っているが、それも殆どなさそう。第一、肝心の新聞マスコミは総じてTPP参加交渉支持のようだし、それに新聞各紙の世論調査でも、TPP参加交渉への支持が反対を上回っているという状況なのだ。さらにそのことは内閣支持率の高さとも連動しているのである。

うーん先の選挙の時は少なくともTPPについてもそんな雰囲気ではなかった。もっと賛成反対が拮抗していた。当選してきた自民党議員自体はもはっきり反対的スタンスを示していたはずなのだ。この安倍首相の訪米がきっかけで、それがガラリと変わってしまう日本の世論って一体なんなのだろうか。国民はそのTPPの意味、中身を一体どれくらい理解しているのか、いないのか。

実は私、自身このTPP自体にについて、賛成・反対どちらか明確な立場ではない。反対派の言うことは当然わかる。一方で長い目でみたこの国家の構造改革という点ではそれが一つの起爆材としなければならないという意味での、交渉参加の必要性についてもっと議論をすることは大いにやる必要がある。やるべきなのだ。

問題は、それについての中身、その本質についてよく理解されず、十分な議論もされないまま日米同盟の維持のため、賛成だなどと短絡してしまうところがどうもおかしいのである。

安倍首相な今回の訪米が、このTPP参加がアメリカへのお土産と考えていること自体おかしい。そうしてさらにおかしいのは、これを成果とし、その結果それが日米の同盟強化つながるかのごとくかのごとく記者会見で述べていたことだ。アメリカがそれを望み、日本の参加を期待しているから、それを断ったら日米同盟が弱体化するからごとく発言しているのだ。

結果農業という聖域を守ったといういい分に単純にごまかされてしまったのは国民だけではない。昨日の朝日新聞のトップニュースはもはや聖域などという言葉は出ていない。安倍首相の聖域論にたいし、オバマは「車は例外と提案した」とある。つまりアメリカは車の関税は例外的に認めろ、その代わりに、コメへの関税は例外は認めようということである。だからそれでいいではないかというニューアンスのように見える。

なんじゃそれ、アメリカだって日本だって、政治、首脳の決断なんてそんなレベル、いかに圧力団体の支持をとりつけておくかがすべてであるとでも解説しておけばいい、その方がよほどわかりやすいのである。それをなにが、「米、車は例外、提案」だ。

それを安倍首相が記者会見で、今回の訪米の最大の成果として民主党政権と違って日米同盟をより強固なものとしたことを強調していた。さらにことさら、民主党政権と違い、原発政策を見直すことまで言及した。それがどれだけアメリカの国益に叶うのはよくわからないが、外国との首脳会談で、国内の反対野党、ましてや前首相のことをけなす首脳などかっていただろうか。

日米の同盟関係が重要であることなど誰も否定しないが、どうしてこうまで米国対し卑屈になるのかわけがわからない。要するにそれが中国への牽制の最大のポイントだと言いたいのだ。だから集団的自衛権のことまで持ち出した。そしてなんのことはない。沖縄のなんら進展のない辺野古基地への移転のことは、適当にごまかしてしまったというところなのだ。こちらはさすが民主党のせいにすることはできなかった。

アメリカにしてみれば。その忠犬ハチ公的態度は別に不快ではないに違いない。ただ同盟国というのならもっと毅然と自らの立場を守るスタンスを示す方がかえって互に信頼をきづく道ではないのか。

経済的には、アメリカは日本などよりよほど中国が大切なのだ。すくなく政府はともかく経済界はそうなのである。オバマにとっても農業団体より、自動車産業とりわけ労組の存在がが大切なのである。だから日本側からの聖域論にのって、日本車には関税維持ということにしたのだ。

それが当たり前でしょう。国益を守るという立場では、安倍首相もっと日本のそれを守ることについてはどうしてもっとぬけぬけという主張しないのかである。認めて欲しいではない、コメだけはなにがなんでも守る、これだけは絶対に譲らないくらいのことをどうしてどうして言わないのか。くだんの国民皆保険制度のこともそうだ。

こんな安倍内閣、安倍首相、そして自民党政権への高い支持率、そしてTPP交渉参加に賛成という高い支持が集まる理由、私には理解しがたいものがある。この問題確かに、これからの日本の行く末を決める重大な問題、テーマなのである。政界、マスコミを含めてもっと国民的議論が沸騰しておかしくない。

どうしてそうならないのだろうか。

tad

関係記事:

「TPP交渉参加 今週にも表明:nhk


2013年2月24日日曜日

Google Chromebook「Pixel」発売の意味:PC413


「米Googleは2月21日(現地時間)、オリジナルブランドの「Chrome OS」搭載ハイエンドノートPC「Chrome Pixel」を発表した。同日、米英のGoogle Playで発売された。価格は、Wi-Fiモデルが1299ドル、4月出荷予定のLTEモデル(米国ではVerizonの回線を使う)が1449ドルとかなり高価格だ。」 itemedia

ChromeOSのChromeBookといえば既に HP(ヒューレットパッカード)やSamsung、Acerなど世界のメーカーが発売しているが、そうしたものはこ今回Googleが発表したハイエンドのものに比べて性能的はむしろ低いもので、価格的にもはるかに安いものが多い。そもそもこの本家Googleのものはもちろん、他のパソコンメーカーのものも、「ChromeOS」搭載機となるとまだまだテスト販売的な意味合いが大きいのではないかと私自身は捉えている。まあ一ユーザの立場からするとこのようパソコン購入検討などまだ時期尚早だとしておこう。

ただ、これをきっかけにOSとしてのChromeというより、ブラウザーとしてのChromeにより大きな関心を持ち、それをより積極的に使うようになることをお勧めしたいのである。IEに変えてChromeを使うことのメリットについてはこれまでもさまざまな形で当BLOGでも紹介してきている。

このGoogleが発表した「ChromePixel」記事に先行すること約一か月前Googleは、Googleのリモートストレージサービス「GoogleDrive」のプレゼン資料作成アプリ「Slide」がオフラインに対応したことを発表している。

私は以前からGoogleドキュメントの、オンラインアプリ、プレゼンテーションソフトを使っていたから、早速それをテストしてみたが、「うん、なるほど」とうなづいたわけだ。そして、今回のこのGoogle独自のChromeBookの発表、どうやらGoogleは今後「ChromeOS」を本格的なパソコンOSとして売り出し、いよいよMSのパソコンに関して独占的な市場を崩しにかかったなと感じたわけだ。同じ意味でスマホ、タブレット端末では、AndroidですにでアップルのiOsを追撃、これを抜いたという実績がある。

Googleの狙いは、そんな「ChromeOS」搭載のハード、ノートパソコンなどで儲けようということではない。要するに、パソコンの世界を独占してきたMSのWindowsの牙城を崩すことにあるのだろう。その可能性を感じた世界のパソコンメーカがその流れに遅れまいと「ChromeOS」パソコンをすでに開発し売り出しを始めているということなのだ。

このChromeOSの構想、Googleはすでに数年前から打ち出しているものだ。その中心はWeb上で使うアプリ、オンラインアプリの利用するものという意味合いが強かった。いやそれしかないと当初Googleは考えていたのだろう。それが今日のオンラインストレージ、クラウドサービス、GoogleのGoogleドライブ、ドキュメントという形で発展してきている。

もちろんそれはそれでいいのだが、常時パソコンを使うユーザーからの要求としては、そうしたオフィス関連のアプリ、私的に使うアプリについては、通信環境がないところ、オンラインだけでなく、オフラインでも使えるようなものにして欲しいという要望、欲求が元々強かった。パソコンメーカからの要望もあったのだろう。

Googleが今回の「Slide」アプリをオフラインでも使えるようにしたというのは、そういう意味なのだ。それは「Slide」に限らず、さまざまなオンラインアプリが、オフラインで使えるようになれば、パソコンユーザーは黙っていても、この無料にして、Windowsやその付属ブラウザーIE(インターネットエクスプロラー)より軽く、さまざまな便利な拡張機能を備えたChromeOSを使うようになるということだ。

OS、OSというが、実際にパソコンが立ち上がってしまえば、後はむしろ、ネット利用で使うブラウザ-の優秀性、アプリ使用の操作性がその使い勝手の勝負となる。私の場合、今のところOSはWindows8だが、実際の仕事は殆どはネットにつないで行う仕事が中心となる。もちろんローカルのパソコンで使うソフトの大半は、それとは関係なく、Windows対応のものをオフラインで使うのだが、そうしたオフラインソフトがChromeOS上でも使えるようになればもはや、有料のwindowsを使う必要性、意味は殆どなくなるのである。

ことブラウザーとして、IEとChromeを比較すれば、Chromeの方がさまざまな意味で、内容、拡張性、使い勝手のいいことを、このBLOGでもお伝えしてきたところである。幸いなことに、このブラウザーとしてのChromeはWindowsの上でフルに使えるから、もう毎日Chromeを使うことは当たり前になってきている。今やよほどのことがない限り、改めてIEを使うことはなく、殆ど場合、Chromeで事足りているし、その方が、より軽快であり、便利なのである。

というもののの、現段階では、OSはWindows、そしてブラウザーはChromeという形でパソコンワークをすることが一番であろう。というのも、このChrome、まだ発展途上という状況ではないのか。

ただそれが今後オフラインで使える数多くのWindows対応アプリソフトが、ChromeOSでも使えるようになれば、もはやOS自体をそれに乗り換えということこにもなってくるだろう。MSがWindows8となるOS、さらにすでに何度も指摘しているようにあの高額のOfficeソフトの使用をユーザーに強要するようなスタンスを続けるならば、このChromeOSのシエア拡大、結果として、Chrome搭載のパソコンのシエアは想像以上に急速に伸びるだろうと予測する。

関係記事:

Google、オリジナルChromebook「Pixel」発売 タッチ対応のハイエンドPC:itmedia 
Google Slides」、オフラインに対応:link 
HP、GoogleのChrome OS搭載端末「HP Pavilion 14 Chromebook」発売: itmedia 
Googleにお願いしたいChrome OSの機能: itmedia 
ネットオンリーOS」はどんなもの? Chrome OSを使ってみた: itmedia 


2013年2月23日土曜日

TPPも原発も消費税も、安倍政権は野田政権が決めた方向に近づいていく????

「藤村修前官房長官の発言(毎日新聞)に怒りがわいている。野田氏、岡田氏らは小沢氏と自民党と組むのとどちらがハードルが低いかの問いにー「自民党のほうがハードルは低い。TPPも原発も消費税も、安倍政権は野田政権が決めた方向に近づいていく」。民主党の自民党化が惨敗原因だとわかっていない。」 ツイート 有田芳生 1月25日

最近の新聞世論調査では安倍内閣支持率上昇63%、経済対策に期待69%、その一方で民主党の支持率5%、なぜこんなことになったのか。

その背景に有田芳生氏のこのツイート発言がある。この発言もう一か月も前のものだが、、もちろん当時マスコミなどこんな発言など取り上げるわけもなかった。が、ネットの世界では結構反響が大きかったものだ。私もこれに気づき、私もその怒りを有田氏と共有していた。ただ、その話題について今更あれこれ言うのは、負け犬の遠吠えみたいなもので、みっともないとあえて黙っていたのである。これまた情けない話である。

ところが最近の安倍政権、自民党政権の動きを見ている中で。この藤村発言を思い出すうちに改めて怒りがこみ上げてきた。何が、「なにがTPPも原発も消費税も安倍政権は野田政権が決めた方向に近づいていく」だ。なにを愚かなことを言っているのか。

TPPにしても、原発にしても、消費税にしても、昔も今も国論を二分する問題だ。どちらかというと、そのいずれの問題でも、むしろ間違いなく国論の過半数はTPP参加反対、原発反対、消費税増税反対であったはず。かっての民主党内もそれに近かかったはずだ。それを野田首相、党内の反対派を抑えつけ、党内の反対派を切り捨て、当時の野党自民党と組んで消費税増税を決めてしまった。それが国民のため、天下国家のためという大義名分ではあったのだろう。藤村発言自体がその現れだ。

しかし結果的にはそれで選挙に大敗、自民党に政権を取られてしまった。その自民党安倍政権の狡猾なことといったらない。狡猾などと言うと少々語弊があるから、言い変えておこう。要するに自民党、国民の受けの悪い増税政策については野田内閣の政策にまんまと乗ったのだ。いや時の政権がそれを主導してくれたのだからこんなうまい話はない。

もしあの選挙が、両党の増税を是とするか非とするかで争われていたらあんな結果に終わるわけがなかった。実はそれは原発、TPPについても同じこと。自民党の方は賛成だが反対については、要するにそれを曖昧にしておけばよかったのだ。いや、やはりむしろその二つの問題については、どちらかというと世論に沿うようなジェスチャーでよかったわけだ。その本音は別にしてである。敵の方では、両派に分かれて、分党までやって、いいの悪いのやってくれている。いずれにせよまじめに論争した民主党は大敗し、そしらぬ顔の自民党は大勝したのだ。あのすごい熱気を帯びた原発反対の空気などどこかへ消えてしまった。いや、うまく消してしまったのだ。

政権の座についた安倍首相の施政方針演説には野党の連中はみな驚いた。安倍首相が選挙の争点いやこれかも政治の焦点になるはずの、原発、TPP、憲法改正、社会保障などの問題に殆ど触れなかったからだ。その狙いは明らかだ。要するに夏の参議院選挙までは自民党の主な本音は隠したまま選挙をやろうということだ。参議院でのねじれさえ解消すれば後はもう思いとおりの政権運営ができる。

消費税増税はもう既定の事実それはいいが、、TPP参加、憲法改正などについてはもう少しその本音を隠しておきたかった。しかしhそれも最近の支持率の高さがあるし、なにしろ訪米のお土産としてTPP参加などにより積極的なスタンスを示さざるをえなくなってきた。TPPに関しては自民党内にも反対議員が200名もいるというが、その200人もどこまでその反対を貫くかかどうかわかったものでない。いや元々そんなことはいずれどうでもなる、とにかく今は当選しておくことだということだったに違いない。自民党としてもそういうジェスチャーを示しておけば、世論の反発もより小さいという読みなのだ。

その点が、諸問題で党内を真っ二つに割って論争していた民主党の幼稚さと全然違う、まさに狡猾さなのである。最近安倍首相がTPP参加により積極的なスタンスを示しはじめたのには、まずは訪米の土産ということあり、マスコミのTPP参加支持動向というものも見据えてのことは明らかなのだ。その辺もあの民主党政権の三人の首相の未熟さとは全然違う。

訪米に当たり、安倍首相オバマの関心の高いTPPについては、積極的なスタンスを示すとともに、原発については「原発ゼロとした民主党政権の政策を見直す」と明言した。さらに国会議員削減の三党合意についても、民主党が70人削減を主張しているのに対し、自公両党は慎重に検討するとすでに後退の様子である。社会保障制度改革、年金制度改革についてももはや当時の民主党の主張など見向きもされないという状況だ。

このお方すでに国会議員ですらないのだが、藤村修元官房長官に聞きたい。民主党がこんなていたらくになったのに、よくもまあ、「安倍政権の向かう方向が野田政権のそれに近づいてきた」などと言えたものだ。

民主党をこんな状況にしてしまった責任のすべては野田前首相にあると断言していい。生き残った民主党の議員の一部が、野田氏の責任を問うべく除名処分を求めていたが、それ位のことはあってしかるべきではないのか。

なにもこれは民主党の没落だけの話ではないのである。私自身なにも民主党員でもなければ、民主党の政策のすべてを支持しているわけでも、なんでもない。また安倍内閣の政策あれもこれも悪いと言うのではない。

問題はいまの自公政権の独占的支配状況、それをさらに拡大しようしている安倍首相の思惑、その政治情勢は日本の政治にとって決して好ましくないことを言いたいだけだ。民主党はあらゆる意味で、自民党と対立する最大の政党として生き残って欲しいし、またその可能性を残し、次の選挙ではそのきっかけを作ってもらいたいと願っているのである。

tad

2013年2月22日金曜日

最近増えている「ありがとう」の連発は妙か


「例えば会社で部下に「コピーをとって」などと用事を頼んだときに、部下から「ありがとうございます」と言われたら、どう感じるでしょう。

日本語の使われ方を調査・研究しているNHK放送文化研究所によりますと、本来は感謝の気持ちを表す「ありがとうございます」ということばの、これまでと違った使われ方がこのところ目立ち始めているということです。

もともと「ありがとうございます」は、「有り難い」から生まれたことばです。
「自分の希望がかなうことは、なかなか『あるものではない』」という気持ちが「有り難い」になり、それをかなえてくれた人に「ありがとう」と伝える、本来は相手がしてくれたことへの感謝の気持ちを表すことばなのです。
ところがこのところ、恩恵を受けた(与えた)とは考えにくい場面で「ありがとうございます」が使われるケースが、目立ち始めているということです。

例えば、上司)「これ、10部コピーをとっておいて」
部下)「はい、ありがとうございます」といったやりとり。」nhk 

まずはこの引用記事の全文をお読みください。でないと、全体の趣旨がお分かりにならないでしょう。

こうした事象も最近よく言われる日本語がおかしくなった、乱れている事例だと、この研究員の方はおっしゃりたいのか。そうだとしたら、私はNHK放送文化研究所なる日本を代表する「言葉」の研究機関の問題提起としては、少々的外れではないかと思う。

この記事を読んで、Twitterでの一連の反応、やり取りが「最近増えてるらしい妙なありがとう」の謎」と題して紹介されているサイト記事があるのでごらんください。

そこではただツイート内容が羅列して紹介されているだけだが、私は敢えて、そのそれぞれいくつかのツイートに私自身のコメントを書いてみた。それを、参照していただければと思う。こちらのツィートから、最後のツイートまでのものを元のツイートとともにお読みいただければと思う。

まとめ:

・この研究員の問題提起は、この種の「ありがとう」は不自然ではないか、日本語として おかしいのではないかということであるようだが、それはまさに言葉の本質を違え捉え ているのではないか。

・上司部下の関係があるのに、ものを頼まれた方が、「ありがとう」という事が論理的に おかしいという趣旨、しかも比較するに事欠いて、居酒屋でその言葉の連発を聞いて  ついついそれが出てしまうのではないかなどとなんだかおかしな話である。また仮にそ うであったとしても、それでいいではないか。

・それはまさにその部下の謙虚さの現れであり、今日もきちんとお互いに人間関係の維持 コミュニケーションが出来てうれしいという表現以上でもなければ以下でもないはずだ 。

・日本人に比べて英米人、いや英語の場合、”Thank you”という言葉、あらゆる場面で
 連発するのはご承知のとおりと思う。あらゆるシチュエーションで "Thank you"
  そして、それに、”Thank you”と答えるのはごくごく自然のこと、それに違和感など 感じる人などいない。その場合、前の”Thank you ”は  "Thank”にアクセントが  あり、後ろの "Thank you”には ”you ”の方にアクセントがあって、「いえ、こち らこそありがとうね」というニューアンスだ。後の場合は、"Thank you" の代わりに  "My pleasure" (喜んで)と応えるのも極めて普通である。

・どっちが先に "Thank you”と言うか、言わないかなど関係ない。Thank you、ありがと うは、互のコミュニケーションの常套句なのだ。いや、そうあるべきではないのか。

・外国人がそれをあらゆる場、家庭、職場、一般社会で連発するのに比較して、日本人  はあまりそれを言わない。当然言ってしかるべき時にすら言わない傾向にあることは事 実だ
。 
・そういう意味でも最近その「ありがとう」があちこちで連発されるようになったことは むしろ妙な現象でもなんでもなく、日本人も社会人としてより通常の当たり前の人間と してコミュニケーション能力が上がってきた証拠だと言えなくもない。

・日本には以心伝心という言葉があるが、これが一つ結果的には意思疎通障害につながる 大きな背景となっていることが多々ある。いかなる場面であれ、互に「ありがとう」を 連発することの方が健全な人間関係、コミュニケーションを維持するためよりよい結果 を生むことは明白であろう。

・それを言う言わないが人と人との社会や職場、家庭での上下関係で決まること、そんな ルールなど一切ない。それを言う言わない、さらにそのありがとうにどう応えるかは百 %、その人となり 感性の問題である。

・この事象をもって日本語が乱れているとか、おかしな使い方などということは全くない 。これはむしろ日本人が正常な人間関係を維持するためには、言葉によるコミュニケー ション、その基本ともなるべき、「ありがとう」という言葉を大切にしょうと心がけ始 めた証拠であると捉えるべきではないのか。

tad

関係記事:

最近増えている妙な「ありがとう」:nhk

2013年2月21日木曜日

携帯電話技術を開発した日本の「ガラパゴス化現象」:PC412


「工学分野のノーベル賞」とも呼ばれるアメリカの賞の受賞者に、携帯電話の実用化に貢献した金沢工業大学の奥村善久名誉教授が、日本人として初めて選ばれ、首都ワシントンで授賞式が行われました。

「チャールズ・スターク・ドレイパー賞」は、アメリカの研究機関「全米技術アカデミー」が毎年、実用的な技術の進歩や社会の発展に貢献した研究者に贈っている賞です。
ことしの受賞者には、金沢工業大学の奥村善久名誉教授が日本人として初めて選ばれ、19日、首都ワシントンで行われた式典でメダルが授与されました。

奥村名誉教授は、電電公社、現在のNTTの研究所で、世界で初めてとなる携帯電話が自動車電話として日本で実用化された際に使われた「セルラー方式」と呼ばれる技術の開発などに貢献したことが評価され、アメリカの研究者らほかの4人と共に、ことしの受賞者に選ばれました。

この賞は、これまでにインターネットや光ファイバーの開発者など38人が受賞していますが、このうち4人がのちにノーベル賞を受賞しており、「工学分野のノーベル賞」とも呼ばれています。

受賞について、奥村名誉教授は「携帯電話が、まさか子どもが持つほどまでに普及するとは思っていませんでした。自分の仕事に全力で取り組んだ結果、社会の役に立つ技術に発展したことは本当に光栄です」と話していました。」nhk  2月20日

このNHKニュースを見たのは昨夜7時のこと、昨日の朝は、朝日新聞朝刊でNTTが2015年年度にスマホの速度を5倍にするというニュース記事を読んでいた。その時は「ああそうか、今度こそはそれで世界の業界をリードするようになって欲しいな」という感想であったのだ。さすがさまざまな携帯電話技術を世界に先駆けて開発してきたNTT、今度こそそれで名実とも世界一を目指せという思いであったのだ。そしてこの夕方のニュース、決して偶然ではなかったのである。

この冒頭の昨夜NHKのニュース、奥村善久氏とは金沢工業大学名誉教授で、元NTTの研究員だ。今日の携帯電話・スマホの隆盛のベースともなるべきさまざまな技術開発にあたった人である。その人が工業部門のノーベル賞とも言われる賞を受賞したというニュースなんともうれしいことではあった。

その受賞理由、要するに今日の携帯電話・スマホの発展のきっかけというかベースとなるさまざまな技術を開発したというものだ。ノーベル物理学賞などその内容を聞いても一体なんのことかちんぷんかんぷんだが、今や世界中の人が使う身近な携帯電話のことならよりよく分かる。携帯電話に関しては日本の技術が世界をリードしていたことはそれとなく知ってはいたが、この受賞を聞いてなるほどそうであったかと思ったのであった。

いや、実は私自身今の携帯電話になる以前、もう23年も前の頃だったと思うが、自動車に設置して使う大きな自動車電話をレンタルで借りて使っていた経験がある。会社関係の仕事で使っていたから自分個人の負担ではなかった。正確な月額使用料は覚えていないが、そんな高いものでもなかった。いやそれは本当に便利、高速道路で車を走らせていて電話が掛かってくると、ちゃんとロードサイドに停止して受発信したものだ。車の中だけでなく、少々大きいが旅行の時、列車の中でも通話に使った経験もある。

私自身は携帯電話など多用するわけでないが、パソコン、モーバイルということもあって携帯電話というものに関してはずっと関心をもってその動向に注目してきたのである。

いや、科学の分野はフェアなもの、アメリカの学会がそうしたことをきちんと把握して
その栄えある賞を奥村氏に与えてくれたことはうれしい限りではないか。何かといえば大騒ぎする日本のマスコミや日本社会この奥村氏の快挙をもっと大々的に讃えてよさそうなものだ。政府総務省なども、国民栄誉賞の推薦くらいしたらどうかという思いがする位である。それ位の価値は十分ある内容ではないか。

再度言うが。その奥村氏の快挙とNTTが、2015年までにスマホのスピードアップを図ることを発表したのニュースが重なったことは決して偶然ではないようだ。今全盛のスマホなるものの存在のベースともなるべき技術をNTTが世界に先駆けて開発していながら、日本の携帯・スマホ産業の実態は世界の4位、5位なのである。そのこといわゆる「パラガポス化現象」という言葉で表現されている

個々の技術開発では他にはないユニークして飛びぬけた技術をもちながら、日本の携帯電話メーカ、携帯電話にまつわる世界的な標準、グローバルスタンダードからはずれているという背景の下、マーケットでは他国メーカーに大きく後塵を拝しているといる。「ガラパゴス現象」とはそのことだ。同じような現象が他の産業でも見られるとよく言われるが、それについては、一日本人として、いつも悔しいというか、残念な気持ちを持っているのである。

そのNTTが打ち出したスマホの高速化のプロジェクト、是非成功させてもらいたいものだ。スマホのスピードが5倍になって一体どうなるの、「通話が5倍早くできる? なんだそれ?」なんておっしゃるなかれ。 

そうではない。その意味はいろいろあろうが、要するにそれはスマホ自体のこともあるがそれとセットで使うことになるであろうパソコン、タブレットがいかに高速の通信ができるかどうかの話なのだろう。スマホはすでに単なる携帯電話でなく、小型携帯パソコンとしての役割を果たしているのだが、もう一つの役割は、パソコン、タブレット端末のモーバイル通信機器として、いわゆるテザリング機能の重要性がますます増してくるだろうということだ。

今のスマホでもそのテザリング機能を結構便利に使っているが、なんといってもそのスピードの遅さが問題である。そのスピードが5倍になればそれはもう超便利になることなど言うに及ばない。

そうした技術が日本だけでなく今度こそ世界的な標準として受け入れられ、日本の関連業界が今度こそ世界一を目指せる是非頑張って欲しいものだ。

tad

関係記事:

工業部門のノーベル賞:nhk   2月20日
携帯通信速度が5倍にアップ ドコモ、15年に開始:asahi 
携帯電話の歴史/年代流行: keitai 
日本の「ガラパゴス化現象」: techno-con
テザリング【tethering】(Wi-Fiテザリング):e-wrod

2013年2月20日水曜日

国内PC出荷減、Windows8効果が出ない理由:PC411


「調査会社のIDCジャパン(東京・千代田)は18日、2012年10~12月の国内パソコン出荷台数が前年同期比5.4%減の369万台にとどまったと発表した。米マイクロソフトが10月にパソコン向け基本ソフト(OS)の新版である「Windows(ウィンドウズ)8」を発売したものの、パソコン販売をけん引する効果は見られなかったとする。IDCジャパンによると、四半期ベースで新OSの発売時に国内パソコン出荷台数が前年同期比を下回るのは初めて。

家庭向けが不振となっている背景として、(1)11年後半から12年春にかけて高価格帯のパソコンが値下がりし売れ行きを伸ばしていた、(2)パソコンメーカー各社がウィンドウズ8の発売に合わせてパソコンの単価引き上げを図ったため消費者から嫌気された、(3)日本マイクロソフトの新OSのキャンペーンが、発売前でなく発売後に重点的に組まれており、発売直後に売り上げのピークを作れなかった、(4)ウィンドウズ8の発売と前後して「Nexus7」や「iPad mini」など低価格のタブレット端末が相次ぎ発売された――などが考えられると片山マネジャー(IDC)は指摘する。

12年通期のパソコン国内出荷台数は前年比0.6%減の1558万台。内訳は、家庭向けが同6.5%減の754万台、法人向けが同5.5%増の804万台だった。メーカー別シェアは、NECレノボが事業統合効果で25.5%と躍進し1位を獲得。以下、富士通(17.5%)、東芝(12.8%)の順となった。4位は前年5位だった日本ヒューレット・パッカード(9.4%)で、前年4位だったデル(8.3%)をかわして順位を1つ上げた。」nikkei 2月18日

Windows8の登場が話題になり始めた昨年はじめ頃からずっとその動向をフォローしてきた私などは、Windows8の導入に一般の個人ユーザーがどのように反応するかの予測はできた。Windows8という画期的なOSの登場にも関わらず個人向けパソコン販売がなぜ伸び悩み、結果的に昨年10月ー12月の売上が前年比6.5%の減に終わったというその理由、背景は分かっている。実は私はもっと減ると予測していた。それが6.5%減、「ああそんなもので済んだか」という感じである。

この日経新聞、8導入後の昨年10月ー12月の減について書いているが、これから半年、一年、場合によってはさらなる減すら予測できる。

その背景としてパソコンというものに代わってタブレット端末というものが登場してきたことが大きいことが主な理由であることは確かだが、それよりもOS発売元のマイクロソフト社、及び国内Windowsメーカーの販売戦略、製品戦略、とりわけ価格戦略が根本的に間違っていると考える。NEC、富士通、東芝、ソニーなど国内メーカーが本当にWindows8の性能内容に沿った製品を提供しているかということ、それがどうもいまいちという感じがあるのにも関わらず、その価格、価格設定があまりにも高い、高すぎるという感想を持っているは私だけではあるまい。いや、私を含め一般ユーザがそう感じたからそうなっているのだ。それがまだMS幹部、日本のパソコンメーカの幹部には分かっていないらしいのだ。

上記記事について:

(1)11年後半から12年春にかけて高価格帯のパソコンが値下がりし売れ行きを伸ばしていた

コメント:

12年春夏モデルとして、ハイスペックのいわゆるウルトラブックなるものが数多く出ていたのだが、そうした製品、夏から秋にかけて、その価格が半値以下に下落した。それでパソコンの売上は伸びた。そうしたWindows7のユーザーはそのパソコンは問題なく、8に優待価格3、300円でバージョンアップできることは分かっていたのだ。

2)パソコンメーカー各社がウィンドウズ8の発売に合わせてパソコンの単価引き上げを図ったため消費者から嫌気された。

2、3年もパソコンを使っていると、パソコンの世界にも、秋冬もの、春夏ものという言葉に遭遇するようになる。なんだパソコンって衣料のファションと同じで、要するに初物はいやに価格が高く、半年も待っていると価格が半値近くにもなる場合があることを知るようになるのだ。パソコンユーザのみなさん、Windows8登場とともに発売開始されたパソコンがその中身の比較はともかく、同じ類であることをよくご存知なのだ。そのパソコンユーザー、消費者の知識、意識の変化に気づいていないのはメーカの方なのだ。
3)日本マイクロソフトの新OSのキャンペーンが、発売前でなく発売後に重点的に組まれており、発売直後に売り上げのピークを作れなかった。

いや、Windows8のお試し版はすでに6か月も前から公表されていたから、事前のキャンペーン自体は必ずしも不十分であったわけでない。むしろ問題は8発売後の優待価格期間が1月末までという短期間で終わったことだ。さらに終了後の価格がその優待価格の4倍だ8倍だという価格にしたことだ。いくらなんでもこれでは消費者の反発は必至であろう。

これでは、これ以降の8への移行を検討するユーザー、8のパソコンの購入を検討する人が二の足を踏むことになるのは当然であろう。そこまでするならヤーメタとなるのも当たり前だ。

4)ウィンドウズ8の発売と前後して「Nexus7」や「iPad mini」など低価格のタブレット端末が相次ぎ発売された。

パソコンということに関しては、Windows7だ、8だという以前に、やはりこのタブレット端末の登場ということが大きいのではないか。さてこれからパソコンというものを初めてみようかという人が、タブレット端末の方がパソコンよりはるかに使いやすいとか、価格も安いなどと聞からされるとそちらに心が動くことは当然のことだ。その真偽というか、本当のところは別としてである。

今出ているWindows8のパソコン、どんなに安いものでも一般的には10万円前後するのが普通。タブレットとなると安いもので2、3万円で購入できるとなるとそちらに心が動くのは至極当たり前なのだ。

日本のパソコンメーカーの不振:(上記記事)

「メーカー別シェアは、NECレノボが事業統合効果で25.5%と躍進し1位を獲得。以下、富士通(17.5%)、東芝(12.8%)の順となった。4位は前年5位だった日本ヒューレット・パッカード(9.4%)で、前年4位だったデル(8.3%)をかわして順位を1つ上げた。」

コメント:

Windows8のパソコンに限らず、パソコン、タブレット端末を購入する場合、今やコストパーフォマンスという観点からみるなら、国産のものより中国のレノボに限らず、台湾のASUS、Acer、米国DELL、HP(ヒュレットパッカード)などのものを比較検討してみることだ。その詳しい比較、内容を言い出すときりがないから、割愛するが、同じスペック(性能)であるはずなのに、国産のものは、価格はもの明らかに割高になっているのだ。

それが洋服だ、衣料品だとなるといわゆるファッション性、デザイン、ブランドなどの
ことがあって、価格差が出てくるのはわかる。合理的な性能差というより、それはまさに感性のことになる。

しかしそれがパソコンとなるとその比較を感性でするのかということだ。究極の比較はやはり、スペックすなわち、使用しているCPU性能、メモリーの大小、ハードデイスクの容量などとなってくるはず。どういうわけか日本のパソコンメーカはまだその名前、ブランド力で売ろうとする姿勢がある。長年それで成功してきたからであるからだ。同じスペックのものなのに、がどうしてそんな価格差になるのかよくわからないところがある。

それにパソコンといえば、日本の各メーカー、先日も話をしたマイクロソフトのオフィスが入っているのを相変わらず当たり前のように考えているのだ。外国品はそうでない。それを入れないかオプションで選べるのが殆どだ。それが入っていないものを買うとそれだけで3万円安く買える。

販売店の方も、さすが無料のオフィスソフトがあることなどは説明しないにしても、MSのオフイスと同等で、5000円前後で買えるKingオフイスを外国製パソコンとセットで購入することを勧めたりするようになってきたのだ。

価格は安いのはいいが、アフターサービスはどうかという点に関してだが、そうした外国メーカも日本法人を設立していて、殆ど問題がない。それにもう一つはこれもすでにBLOGで書いたが、オンラインネット販売が発達してきて、価格という点になってくると店頭販売のものとの差が歴然としてくる。レノボなんて中国産のメーカーの伸び率が高い主な理由は、価格がやはり抜群に安いからである。

まとめ:

こんな風に書いてくると私自身そもそもWindows8の存在自体を否定しているように聞こえるかもしれない。これを読んで、なーんだそうか、ならWindows8のパソコン購入検討など止めだとする方がいらっしゃるかもしれない。しかしそれは私の本意ではない。さらにただ国産品を否定して外国製品を賛美しているわけでもない。

要するにパソコンなるものの購入に関しては、秋冬、春夏ものなどというがファッションとかブランドでなく、あくまでそのハード・ソフトのコストパーフォマンスを中心に考えるべきだということを言いたいだけのことだ。

パソコンはTVなどと違って、いかにも一台一台その仕様が違い、製品の中身も違うように思われるかもしれないが、実はその逆、パソコンほどその意味では標準化された製品はないのである。

それが証拠に、TVを自作する人などめったにいないが、パソコンを自作して使っている人はいくらでもいる。街のパソコンショップで、自作用の部品、マザーボード、ハードデイスク、そのた周辺部品を購入し、自分で組み立てる使っている人は沢山いる。私もデスクトップパソコンに関しては長年そうしてきている。

要するにそうした部品類はすべて標準化していてしかもそのメーカも大体限定されているものなのだ。パソコンのケースもその大小はあっても最初からどこにどの部品を配置するか決っていて、その組立自体間違えようのないようにできているのである。

パソコンの購入に当ってはなにしろコストパーフォマンスを第一に考えようとはそういう意味だ。NECだ、富士通だ、東芝だなどというブランド名などどうでもいいのである。しかも彼らはその独自性を出すため、ユーザからみるとどうも不要なソフト、機能を付ける傾向がある。さらにノートパソコンをその格好よさ、姿形で選びたい人はその限りにあらずなのだが。

最近のパソコンユーザーもそういう意味では段々賢くなって、以前のように新しいOSのパソコンだからと言って初物に飛びつかなくなった。そして安価なタブレット端末の登場ということを含めてこれからもより慎重にコストパーフォマンスを考えた上で、Windows8パソコンを購入についても考慮するであろうということだ。

結論的にいうとソフトとしてのWindows8の価格は明らかに高い。というのも今急速に増大しつつあるAndroidタブレット端末が安価なのは、そのOS自体無料だからだ。これからはそうした無料OSのパソコンの登場もさらに多くなろう。

そして再度いうがハードとしてのWindows8系パソコン、国産のものの価格はいずれも高いと言わざるをえない。まあ平均的なスペックのもので10万円前後というところか。機能面でも先の外国産のものより明らかに劣っている場合でもだ。外国品は総じて国産のブランドものものよりかなり割安である。

そうした状況の中にあって自分はどうしたかについて最後に書いておく。私自身はOSとしてのWindows8を否定しているのではない。むしろ評価している方だ。その内容についてはこのBLOGでそのメリット・デメリットいろいろ書いてきた。そして総合的なメリットはかなり大きいとしてきた。実際には昨年10月26日、発売と同時に優待価格3、300円で購入、Windows7のデスクトップパソコンにインストして以来今日まで満足して使っている。

外出時などに使うノートパソコンに関してはXpのものを使ってきたが、その必要上8が出たら、タブレット端末としても使えるタイプのものを購入しようと計画していた。とりあえず予算的には10万円前後のものを考えていたわけだ。ところがそうしたパソコン、タブレット兼用機、いわゆるコンパチ機となると国産、外国産のものを含めて納得のいくものがまだまだ今のところ存在していないのである。

そこでPC、タブレット兼用、コンパチタイプというよりは、パソコンはパソコン、タブレットはタブレット端末で考えようということにしたわけだ。

結果、パソコンとしてはこの2月初め15インチのWindows8ノートを購入。これはCPU、メモリ数など市販品の中でもトップクラスのものだ。メーカはフロンティアという山口県にあるOEMパソコンメーカである。その価格は5年間保証延長でなんと6万円ちょっと出たくらいだった。同じスペックのものを一般国産品から選ぶとどう低くみても10万円はする。但しこれにはもちろんオフィスソフトなど入っていない。そんなものは一切不用である。

ノートパソコンの購入、予算的にはそれで済んだ。その残りの4万円をどうするかである。私はその4万円はタブレット端末購入に当てる予定である。それがWindows8であれば理想的だが、場合によってはAndroidでもいい。タッチパネルということのパソコンのメリットを活かすには、今登場している中途半端なコンパチ機を購入するより、タブレットはタブレット専用機であった方がいいと判断したからだ。

多分今の10インチより大きイサイズのタブレットがこれから夏以降登場するはずだ。10インチで、しかもアンドロイドでいいなら、この3月にはNTTドコモから9800円のハイスペックタブレットが発売される。その他タブレットは今や選りどりみどりなのである。

tad

関係記事:

国内PC出荷減、Windows8効果が出ない:nikkei  

2013年2月19日火曜日

隕石落下は「神の啓示」だそうです


ロシアへの隕石落下の事件は世界中を騒がせた。この週末日曜日TBSのサンデーモーニングでもトップニュースでこれを取り上げていたが、ありきたりのコメンテータ達の発言の中で、常連の岸井成格なるお方のコメントには少々驚いた。

この岸井成格氏、もともと、保守派というか、体制派というか、例えば原発問題に関してもどちらかという容認派だと理解していた人物だ。そのお方がこの事件についてこう発言したのである。

「今回のロシアのこの原発存在地域への隕石落下は「神の啓示」ではないか、つもり「警告」ではないかと言うのだ。つまり神が人類社会に対し、こんなこともあるから、原発には注意せよとの警告を発したものではないか」という趣旨のことを述べたわけだ。私はへえーと思った。

いやそれを批判するのではない。問題はたしかにこの隕石落下は、今日本で大問題になった原発反対運動が、安倍内閣誕生でどうも風化しつつあるような情勢であったことに改めて警告を発したものだという趣旨だったと理解した。神の啓示かどうかは別にして人類社会にとっての「警告」ではある。

このことが再び原発反対運動に大きな大きな根拠となったことは間違いないはずである。ところが、そうした趣旨のBLOG記事などいくつか散見するものの、そうした観点からのマスコミ報道はあまりないようなのだ。それは国内、国外ともにそのようである。私自身そのことには納得がいかないところである。

この宇宙から飛来する隕石が世界の原発を直撃する確率など極めて低い、そんなことを心配してなんになると、容認派の学者は言うに決まっている。ところが時あたかも関電大飯の原発に続いて東北電力東通断層存在の可能性が指摘され、それに東北電力が反発しているという報道が昨日あった。専門家委員会が可能性を指摘した以上、再開の可能性は極めて、低くなったにも関わらず、東北電力側はそれをなんとかそれを覆そうというスタンスなのだ。こちらの断層による地震災害の確率については、隕石落下の確率などよりはるかに高いはず。それをなんとか巻き返そうということである。

断層の存在などという事象と違い、隕石落下など問題にならない確率なのだ。それについてどうしてもっとまずは慎重な姿勢にならないのかである。そして今回の隕石落下事件
ほんの一部の専門家が問題提起する位で、マスコミも専門家も殆ど無関心なのだ。隕石
落下による深刻な影響など、極めて小さいものにせよ、決してゼロではない。どうして
そのことも踏まえて、原発存続か、廃絶かの議論をしょうとしないのか、不思議なのである。

「神の啓示」と言えば、そもそもこのことを取り上げた、岸井氏の発言の内容をより正確に把握しておこう、私の記憶のあいまいさを確認しておこうと、先ほどGoogleのトップページにアクセスしたのだった。Gooleのトップページのロゴ、これは定期的に変わっておもしろいものが多い。今朝のそれは新しくなっていた。それを見て、あれっとと思った。みなさんもごらんになるといい。一瞬それが何なのか、よく分からない。

これは何だ、そのロゴにマウスを当てると、「コペルニクス生誕450年」という説明が出た。そうか、これ、太陽系を表現しているのだ。真ん中の太陽を中心に地球を始め惑星が回転している図なのだ。コペルニクスが唱え、その後あの有名なガリレオ・ガリレイの地動説を表現しているのだ。

神の啓示といえばかって当時の協会はどういうわけか地動説などとんでもない間違いでそれを唱えたガリレオを裁判にかけ、その説を改めさせようとしたわけだ。ガリレオはそれにも屈せず「それでも地球は回る」言ったとか言わなかったとか。

今はもう教会を含めて天動説など唱えるものはいなくなった。この地球は膨大な宇宙そのまたほんのはしくれの太陽系の一惑星にすぎない。惑星どうしがぶつかったりすることはないが、何万何千という小惑星がいつ飛来してきて地球にぶつかるかわからないのだ。
それを予測し、衝突を避けるための研究などもやっているようだが、予測もなにもそれが飛来して地球にぶつかっているケースは数え切れないほどあるそうだ。

それの破片がかず多く発見されたが、原発位軽く壊してしまう大隕石も飛来しぶつかっているのだ。

もうそんな原発などその地球上に存在させておくことはやめておいた方がいいというのはまさに科学的根拠に基づく「神の啓示」なのであろう。いや

これは皮肉でもなんでもない。こんなことで皮肉などいうべきことではないのである。

tad

関係記事:

原発に隕石落ちたらどうする?「想定外」:nikkansports 
隕石、周辺に核施設も 「危うく第2のチェルノブイリ」:yahoo
チェリャビンスクの隕石落下~落ちるところが悪ければ地球規模の核惨事:asablo
核施設と隕石 原点聖書研究:blog
東北電力 東通原発の断層追加調査へ:nhk 
二コラウス・コペルニクス生誕540周年:livedoor 
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2013年2月18日月曜日

大学生の学習時間 一日平均39分、実に情けない実態だ


「大学生の学習時間はどれくらいなのか、全国の学生を対象に調べたところ、一日の平均が39分で、1週間の学習時間がゼロという学生も4年生では8人に1人に上るという調査結果がまとまりました。

この調査は、全国大学生活協同組合連合会が学生の生活実態を調べようと去年10月から11月にかけて行い、全国の国公立と私立、合わせて30校の学生およそ8600人が回答しました。
この中で、講義の予習や復習など一日の学習時間を尋ねたところ、文系の学生が平均で28分、理系の学生が48分、全体では39分でした。
さらに、1週間の学習時間がゼロと答えたのは、1年生が7.6%、2年生が10.2%、3年生が11.7%、4年生が12.8%と学年が上がるにつれ増えていました。
特に文系の4年生は18.2%で、およそ5人に1人が1週間の学習時間がゼロと答えました。」NHK 2月14日 

このニュースもう4日も前のものだ、ある意味もっともっと古いニュースだ。その現象自体別なにも今に始まったことではない。それは日本の社会の構造的欠陥に帰するテーマなのであるが、そんなニュースを聞いても誰もさしたる関心もなく、それは困ったことという認識もあまりないのである。それは極めて困ったこと、情けないことだと私は言いたいのである。

公共放送のNHK、政治、経済、社会、文化あらゆる分野の問題をまんべんなく、公平かつ客観的に取り上げるのはいいのだが、問題はただその事実関係だけを伝えることだけがその役割ではないはずだ。

まず事実を客観的をニュースして伝えるのはそれでいい。NHKのニュースを担当するのはアナウンサーであって、キャスターではないのだ。それでは困る。同じニュースを伝えるにしても、ただああだ、こうだと、事実を伝えるだけでなく、ある意味問題提起をせよということだ。どうしてそのニュース読み上げの最後に一言、「日本の大学、大学生のあり方、果たして、こんなことでいいのでしょうか」というコメントを付け加えてもらいたいのである。それをやってどこが悪いのだろうか。

そんなことはニュースの担当でなく、ニュース解説の方でやりますからというのだろう。それがかったるいのである。

いやいきなり本題からそれてしまった。要するにこんなニュースを聞いていて、日本の視聴者国民、このニュースを聞いていて果たして一体どれだけの人が、問題自身に関心を持つのか、である、一般には殆ど何の関心も持たないのが普通だろう。

アベノミクスだ、景気動向だ、北朝鮮問題だ、隕石落下だのニュースが、より重要であると感じるのは、それが自身の毎日の生活に直結する問題であるからだろう。ところが、日本の大学生はあまり勉強しないと聞いても、それが一体どうしたと言うのか、それは今も昔も同じだろと言う認識なのだ。

いやそれでは困る、それではダメなのだと言いたい。もし私がNHKのニュース担当のデイレクターなら、その事実関係を伝えた上で、読み上げ原稿の最後に、「これが日本の大学教育の現状です。日本の大学、大学制度が果たしてこんなことでいいのか、日本の学生、こんなことでいいのでしょうか」と入れさせる。一体そのどこが悪いのか。それを指摘したら一体誰から苦情がくるのか。

こういう大学の実態、学生の実態、国家の最高学府のこんな現状こそが今の日本社会の現状、これからあるべき国家社会にとっての大きな問題であるという問題提起をどうしてしないのか。出来ないのか。

私は日本のマスコミはもちろん政治家、教育評論家などが、このニュースについてついてなんらかの問題提起発言をあまり聞いていないのだ。そう、そんなこと何も今に始まったことではないのだ。

えらそうなことを言うやつめと思われるだろうが、私自身はこのニュース相当な心の痛みをもって聞いた。相変わらずだな、日本の大学という感じである。あらゆる分野で日本を背負って立つてもらわなくてならない大学生、若者がそんなことで本当にいいのかどうかが心配なのだ。そうした日本の大学の実情は、欧米諸国さらに中国、韓国などの大学、大学生の現状と比べてみるべきだろう。その歴然たる差を知ってショックを受けない方がおかしいのだが、日本の国民一般はそうではないらしい。。

このテーマに関して日本のマスコミは目立った論評はしていない。最近私は自分がおかしいなと感じたこと、自分はこのテーマについてこう感じるのだが一般世間の人々はどう考えているのかを知るのにもっともてっとり早い方法は、ツイッターをチエックすることだ。それをいろいろチェックしている、見落としていたマスコミの論調を改めて見つけたり、ユニークな見解のブログ意見に遭遇したりすることが多い。それで納得という場面が結構ある。

今回も私自身、納得し、同感できる意見のいくつかをツイッター上で発見できた。ツイッターといい、BLOGといい、SNSというものについては、その意見まさに玉石混交ではあるが、その問題の本質をずばり指摘しているものも数多い。

このテーマについて私が納得し、賛同のコメントを表明したいくつかのツイート、個々にあげるのは煩わしい、そうしてものに私見を加えてその総合的なまとめをしておこう。

・諸外国の大学生に比べて日本の学生の勉強時間が極めて短いという現象は国家社会の将 来にとって困った現象であるという認識は共有すべきだ。
・それは基本的には日本の学生の個々の勉学というものについての問題意識、やる気の不 足、動機つけの問題である。
・ただそれは、むしろ日本社会の構造的な問題、教育制度、大学入試試験制度、企業、官 庁などでの人事制度の問題である。
・日本の大学入試制度が諸悪の根源の一つであることはいうまでもないことだ。入学する までは猛勉強するがその後勉強などしなくても卒業が保証されているような大学の制度 そのものがおかしい。
・大学生の半分を就職活動に費やす、あの就活っていう制度って一体何なのだろう。あれ が本来の日本の大学のあるべき姿なのか。
・それにはもちろん企業、官庁の就職試験、人事採用制度、入社、入省後のキャリーアー 制度の不合理さの問題がからんでいる。
・人生においてもっとも勉強に励むべきその時期にこんなことで果たして日本の将来を背 負って立つ人材だ育つのかどうか、日本は国家としてこのテーマにもっと真剣に取り組 むべであろう。

tad

関係記事:

大学生の学習時間一日平均30分:nhk
大学生の学習時間一日平均30分:You Tube
「日本の大学生」ツイッター:twitter


2013年2月17日日曜日


フリー・オフィスソフトLibreOffice4.0を使う:PC410

一昨日のBLOGでMS(マイクロソフト)がOffice2013の発売を開始したことについて書いた。詳細な内容はそれをご覧になっていただきたい。その際、MSOfficeの代替フリーソフト、libreOfficeの最新版、LibreOffice4.0が2月7日にリリースされたのことを紹介したが、実際にはまだダウンロードし、試してみていなかった。

昨日それをダウンロードし、動作確認(Windows8)をしたので、その報告をさせていただく。

ダウンロード・インスト:

LibreOffice4.0は以下の関連サイトからダウンロードインストできる。
従来の2.6とそんなに大きな違いはなさそうだが、ソフト本体、関連マニュアルも一緒にダウンロードしておくといいだろう。

LibreOffice4.0と2.6の違い:

詳細はサイトでの説明があるが、実際の使用上、そんな大きな差はなさそうだ。急いで
4.0をダウンロードしなくても、2.6でも十分だが、どんなソフト類でも、それを常に最新のものにアップグレードしてことが望ましいことはいうまでもない。

LibreOfficeの概要説明:

Impress4.0を使って改めてLibreOfficeについての簡単な説明スライド、プレゼンを作成してみた。

・LibreOfficeは、MSOffice互換無料ソフトである。
・メニュー構成、その機能に多少の違いはあるが、概ね、MSのOfficeと同等、場 合によってはMSOfficeにもない優れたDraw(お絵描き)のソフトが存在す る。
・二つのソフトの互換性がよく問題になるが、Office97、2003、2007、 2010など各バージョンとのファイルの互換性は殆どの場合、問題ない。MSOff iceで作成した、文書、表計算、プレゼンなど各種ファイルは、すべてLibreO fficeで読み込み、再編集できる。その逆も、ファイル保存形式さえ注意すればほ ぼ大丈夫である。
・PDF、HTML形式へのエキスポートもMSOfficeソフトと同じように可能で ある。
・LibreOfficeはWindows、iOs、LinuxなどのOsに対応して いて、今後パソコンのみならずスマホ、タブレット端末などでも大幅に使えるようにな るだろう。
・LibreOfficeは世界中で使われ、世界中のボランティア技術者がその改良
 開発に携わっている。それが高性能、優秀なそしてフリーソフトを生む背景ともなって いるのだ。
・こうした優秀なフリーソフトを活用することは、個人ユーザー、企業、自治体などの
 パソコン利用に大きなメリットとして跳ね返ってくることは言うまでもないことだ。

tad

関係記事:

オープンソースのMS Office互換ソフト新版「LibreOffice 4.0」が公開:nikkei
LibreOffice公式HP:homepage
LibreOffice:wikipedia
多くの新機能が追加された「LibreOffice 4.0」登場:sourceforge
Impress4.0を使ったプレゼン:impress 

2013年2月16日土曜日

新しい無線LANルータに交換した:PC409


最近パソコン、タブレット端末、スマホなどのの話題に加え、無線LANの高速化、公衆無線LANの普及の問題などがよく話題になっている。自宅、職場、外出先どこであろうとIT機器を操作してメールをしたり、BLOG、SNS、Twitterなどをするのにどんな形にせよ無線LAN、WiFiの仕組みは必ず必要になるものだ。

2月6日、「パワーフルモーバイル・ルータURoad-SS10」と題して書いたBLOGモーバイル用、外出、旅行の時などにパソコン、タブレット端末などをモーバイルで使うためのものだ。今日話題にするのは自宅、職場などに設置して使う無線ルーター(図1)のことである。

せっかくパソコンを買い換えたり、ADSLなどを光フレッツなど高速回線に変えてみても、無線LANを3年も4年もただつながっていればいいと前の古いものをそのまま使っていることが多い。

私自身がそうだった。我が家でもう7,8年前から東日本のフレッツ光の回線を使っていて、回線のスピードに関してはなんの不満もない。ところが無線LANルーター親機に関しては、3年ほど前、NECAterm WR6670Sなるものを購入し、使っていて、特に大きな不満はなかった。不満といえば、二階の私の書斎にフレッツ光のモデムがあり、それにAtermをつないで、同じ二階の部屋、一階の部屋など3、4箇所で無線LANを利用している。問題は1階のリビングルームなどでの利用の場合、やや電波が弱く接続が不安定だった。

それで近くの電機店に出かけてIOデータ、バッファロなどのカタログを入手し最新の無線ルータ機を各種を調べてみた。しかし、とにかく種類が多くて、その機能、性能どれがいいのかよくわからない。結局、今のNEC製Aterm系と同じものを選択しておくのが無難だろと思い、NECのコールセンターに電話して聞いてみたわけだ。

これが正解、ものの10分ほどのやりとりで、後継機器が決まった。それをネット価格最安値のアマゾンに発注したのが3日前のお昼。配送されたのが昨日の昼前だった。いや早い。早速設定にかかったが、これまたものの20分位で簡単に設定できてしまった。価格はNEC直販店での価格より1500円ほど安かっただろうか。別にNECに悪いとは思わなかったが、そのコールセンターの対応ぶりには大満足、Amazonのサービスにも満足というところだ。

NECのコールセンターではまず今使っている製品使用現状を伝えた。

・総体的には現在の製品、ほぼ問題なく使っている。
・ただ距離が離れているとやはり問題、特に2Fから、1Fへの電波の伝わり方がやや弱 いようでこれを改善したい。
・光のモデムと無線ルータをつなぐのだが出来れば、有線でつなぐ場合、無線でつなぐ場 合の通信速度をもっと上げたい。
・そうした目的を達成するための最新の機種を教えて欲しい。

コールセンターの回答:

・要望内容がよくわかった。それに該当する機種WR8370NHPモデルをおすすめす る。
・同じ機種ではHPとSTの2モデルがあるが、電波の届き具合という観点を重視するな らHPモデルをお勧めする。
・スピードということに関しては現在のものは無線の速度が54mps、有線で100m 当機種だと無線、300mps、有線で1Gであるから、その点では明らかに改善する はず。
・もっともそうした数値はあくまで理論値であり、実際にそれがどうなるかは、さまざま な要因があり、どうなるかは保証の限りでないことを理解しておいて欲しい。

その回答に百%納得したので、その機種購入を即決したのだった。

スピードが54mpsが300mpsになったのだからいかにも早くなったようだが、それは理論値であり、仮に実測値だとしても、人が感じる体感スピードとなると話は全然違う。実際に新しい機種でつないでみた瞬間は、あれちょっと早くなったかと思ったが、しばらくするともうその体感が当たり前になって以前との差など殆ど感じなくなるものだ。それでもなんだスピード全然上がっていないではないかなどというつもりはさらさらない。

一階フロアでの電波の受信状況はやや改善したかなと思う程度だった。それでも私は今回の結果にはまずは納得し、満足している。第一そのために何万円もかかったわけでなく、わずか数千円でこれだけのことが体験したこと自体がよかったと思うのだ。

これから無線ルータなるものを導入したい、また私のように買い替えなど検討されている方は以下の参考記事など参照されたい。ただその技術的内容についてはよくおわかりになれないだろう。一番いいのは、私がやってようにそれぞれのメーカのサポートセンターに電話して相談してみられることだ。

このことは別に無線ルータに限らない。あらゆるIT機器、パソコン周辺機器について言えることだ。

tad

関係記事:

無線ルーターとは無線LANルータ:e-word
WiFiとは:wikipedia 
無線LANは今後、どこまで速くなるの?: nikkeibp
無線LANルーター選びの落とし穴は?yomiuri 


2013年2月15日金曜日

新発売Office2013について:PC408


「日本マイクロソフトのオフィススイートの最新版「Office 2013」が7日(木)に発売された。主なウリは、クラウドへの統合やWindows 8への最適化、操作性の向上など。

なお、旧バージョンとなったOffice 2010も現時点では併売中。Windows Vistaなどの旧環境でOfficeを使う場合は、引き続き、こちらを購入することになる。ただし、Office 2010からOffice 2013への「無償アップグレード」キャンペーンは終了済みだ。

Office 2013そのものの特徴はPC Watchの記事などに譲るが、流れとして興味深いのがパッケージにインストール用のCD/DVDメディアを含まず、プロダクトキーのみとなったこと。インストールもネット経由で行うことが必須となった。対応OSがWindows 8/7のみとなっており、Windows Vista以前が含まれていない点も要注意。

また、Office 2010以前からOffice 2013に有料でアップグレードする「アップグレード優待パッケージ」については、最上位の「Professional」の数量限定版のみとなった。Office 2010では、安価なエディションである「Personal」「Home and Business」のアップグレード版も用意されていたが、Office 2013ではこうした選択肢がなくなっている。

 もちろん、Personalなどの通常版は用意されているが、アップグレード版に比べれば高価。実売価格は「Personal」が26,980~31,280円前後、Home&Businessが31,980~36,500円前後、Professionalが52,980~62,700円前後(アップグレード版は37,600円前後)。」Impress  2月7日

Windowsパソコンを買ったら、殆どの場合、マイクロソフトの二大オフィスソフト、ワードとエキセルが入っていて、多くのパソコンユーザーが、パソコンを習うとはワードとエキセルを習うことから始めるものだと思い込んでおられる。私たちのパソコンクラブでもそうだった。それに加え、パソコンで使うメールとはOE(アウトルックエキスプレス)であり、ブラウザーとはIE(インターネットエキスプロラー)だと思い込んできたわけだ。

それがマイクロソフト社、Windowsパソコンの世界で圧倒的シエアを獲得する戦略であったのだ。OS(オペレーティングシステム)としてのWindowsはもちろん有料でしかも結構高額。OEとIEは無償でつける一方で、ワード、エキセル、パワーポイントなどオフィスソフトはもちろん有料、しかもそれは殆どの場合、パソコンにプレインストールされていて、その価格の高さをユーザーが感じないようにするという戦術であったわけだ。ある意味、MSとパソコンメーカの共同戦術と言っていい。

1995年Windows95発売以来18年、MS(マイクロソフト)は見事そうした戦略でパソコン界で圧倒的なシエアを保持してきたのだった。そうした戦略は世界のあちこちで独占禁止法に触れる不当な競争行為だということで紛争を巻き起こしてきたこともご存知のとおりだ。

一消費者の立場で、今そのことの是非、そうしたMSの戦略が自由な競争関係を阻害する不当なものであったか、いや正当なものであったかなど論じるつもりはさらさらない。個人的にもOS、これまで発売されてきたWindowsの各バージョンの価格が不当に高いとも感じたことはなかったし、オフィスソフトについてもパソコンを買えば、ほとんどそれが同梱されていて、高いの安いのといちいち感じることもなかった。ワードやエクセルを単品で買って、それが一万円だと言われても、まあそれくらいの価値があるものだと思っていたし、かっては実際そうだったのだ。まあトータルでは、MSの戦略にまんまと乗せられたかもしれないが、それはそれでよかったというか、そのこと自体もはや過去のこと今更どうこう言うつもりなないのだ。

ところが今日のパソコンの世界の状況はかっての時代と全く違う。スマホ・タブレットの登場、それに関わるOSもiOS、アンドロイドなどが出来、好むと好まざるに関わらず、MSの独占状況が大きく変化を遂げている時代なのである。加えて、いまやネットワーク、オンラインソフトの時代、オフィスソフトもさまざまな競争にさらされている時代になってきている。よりいいもの、より安いもの、むしろ殆どの場合無償、フリーのものが数多く登場してきているのだ。そういう状況の中で、今回のMSのOffice2013の販売方針、少々消費者無視、現実の市場動向を軽視したものではないかと一言言っておきたくなったのだ。

それもこれもMSのOfficeソフトが95、97、2003とバージョンアップする都度、それに合わせてそれを購入してきたし、そうしたものをプレインストしたパソコンを購入してきたのだ。ところがそれがOfficeが2007、2010になる頃からはもはや、もうそうする理由、そうしなければならない理由、背景はなくなったのである。というのも、それに代わる、しかも従来のMSオフィスソフトにほぼ互換性のあるフリーオフィスソフト、OpenOfficeなどが登場してきたからだ。などというのは何もそれはその一つに限らない。いくつもそういうものがあるということである。

そもそもこうしたオフィススイートと呼ばれる一連のフリーソフトは、MSのオフィスソフトを真似たもの、コピーしたものと考えられることが多いようだが、話はむしろ逆だ。実際にはワープロソフトにせよ、表計算ソフトにせよWindows登場以前の時代にはさまざまなそうしたソフトが存在していたのだ。

そうした時代私などはワープロでは一太郎、表計算ではLotus123なる優秀なソフトを使っていたのだ。そうしたものがあった、使っていたからこそ、それがワードになってもExcelになっても、すんなりそれが使えるようになったといういきさつがある。
いずれにせよMSOffice97、2003当たりまではすんなりMSのオフイスを使ってきたのだが、それが2007、2010になった頃からはもうそれからは完全に離脱、オラクルの無料のOpenOfficeを使うようになった。パソコンクラブの人たちにもそれを使うことを積極的にすすめるようになってきたのである。

ワードとエクセルで2万円掛かるところ、OpenOfficeを使うと無料なのだ。しかもその使い勝手、内容とも全然悪くない。肝心のファイル互換性、MSのオフィスのファイルとOpenOfficeのファイル互換性についてもほぼ問題はない。ほぼなどというと、それを捉えてだから、使い物にならないなどという物知り顔のパソコン専門家気取りがいるものだ。しかし実際にそれをパーソナルユース、ビジネスの現場で使っていても、問題になるようなことは何もない。ないはずだ。

それが証拠にトータルの事務経費を節約するために、MSのオフィスを無料のOpenOfficeに移行するという企業や自治体が数多く存在するという事実がある。そこにはことの実態を知る専門家がいるからだ。

ちなみにそのOpenOffice、最近は同じオラクル社が、LibreOffice2.6(最近それは4.0という形でバージョンアップされている)という形で全世界、各国言語で使えるような形で提供されていることを付け加えておく。

まとめ:

・MSの最新のOfficeソフト2013が発売開始になった。使い慣れたものを使い たい、使うということで、それに結構高額のおカネを掛ける、かけないはそれぞれのユ ーザーの選択の自由。MSオフィスはたしかにその見栄え、テンプレートの豊富さ、画 像処理などについて、フリーのオープンソフト、Libreなどにない機能があること など否定はしない。

・問題は案外そうしたフリーのLibreオフィスの存在などご存知ない方が未だ多いと いうことだ。そうした方は、論より証拠、一度最新のバージョン*をダウンロードして 使ってみられることである。それには ワープロ(Writer)、表計算(Calc )、プレゼンテーション(Impres s)が揃っていて、その使い勝手、内容はM Sのオフィスソフトになんら劣るものではない。

・さらに、LibreOfficeにはMSOfficeにも存在しないDrawという 極めて高機能のお絵かきソフトが内蔵されている。これは大きなメリットだ。

・再度言うが、問題はその二つのソフトのファイル互換性だ。要するにMSのワープロ、 表計算などの形式のファイルを、LibreOfficeで読み込んだり、逆にlib reOfficeでファイルを保存する場合、MSOfficeで読み込み処理できる ような形式で保存できるようになっているかどうかである。それはそうなっている。L ibreOfficeの最新のバージョンのそれは、過去のバージョンのものはもちろ んMSOfficeの2007、2010形式にも対応している。

・今や時代は、デスクトップコンピューティングでなく、オンラインコンピューティング の時代。MSも最新のOffice2013のうりの一つがSkyDriveなどでの 使い勝手のよさとなっている。

・MSのskydriveでも、オンラインOfficeソフトが使えるようになってい るが、その使い勝手はあまりよくない。これは自由にフリーで使えるから一度使って見 られるとといい。

・その場合比較の対象は、Googleドキュメントの文書作成、スプレッドシート、
 プレゼンテーションの三つの機能である。それはMSOfficeソフトののワープロ エクセル、パワーポイントに匹敵するものだが、こちらもフリー一度アクセスして使っ てみられることだ。どちらが使いやすいかである。私見ではGoogleドキュメント の方がはるかに使いやすい。

別にMSのOffice2013を全面的に否定したり、非難したりするつもりはない。ただ、世のパソコン一般ユーザーにこうした事実をお知らせしたいのだ。そうした観点からワープロといえばワード、表計算といえば、エクセルとなってしまっている現状から脱却していただきたいとの願いを込めているだけのことだ。

tad

関係記事:

最新オフィスの賢い買い方は?:yomiuri 
Office 2013発売、Windows 7/8専用: impress
Office代替ソフトは:OpenOffice
LibreOfficeの3.6の新機能:wikipedia
アマゾンの本:  LibreOfficeは実務で使える: amazon 
多くの新機能が追加された「LibreOffice 4.0」登場、OpenOfficeとの違いが明確に:sourceforge


2013年2月14日木曜日

パソコンのファイル・データはすべてクラウドに保存:PC407


日経PCビギナーズという雑誌がある。昨年の4月号特集14、「パソコン安全対策」の表紙画面がPDFで紹介されていた。その内容なかなかわかりやすくていい。

パソコンはいつ故障したり、操作ミスでせっかく保存していた貴重な文書、写真、動画、メールなどのファイル・データを失ってしまうかわからない。だから、パソコンでさまざまな仕事、作業をやった時に保存するハードデイスク・ドライブフォルダーとは別に外付けのハードデイスクなどにバックアップしておこうという趣旨だ。

もちろんそれはパソコンをやるものにとっては常識中の常識だ。ただこの日経PCビギナーズの記事では、昨年初め頃から話題になりだした、クラウド保存、リモートストレージを使って、手元のパソコン周辺機器にバックアップ保存しておくだけでなく、ローカルのパソコンだけでなく、クラウド保存(リモートストレージ)しておくことを勧めているわけだ。もちろんこれもその通りである。

もっとも、まだ昨年4月頃は、DropBox、Googleドキュメント、MSSkyDriveほか先進的なクラウドサービスはあったものの、その保存容量は極めて限られていたし、まだまだその意味内容、仕組みの内容が一般ユーザーによく理解されていなかった面がある。だからその日経記事も、ファイルバックアップは、外付けのハードデイスクなどにして、その補助的な意味でそうしたクラウドサービスも使ってみようという位のニューアンスだったと思う。

私もその頃はそうだと思っていた。ところがその4月以降、GoogleDrive、MS・SkyDrive、YahooBox、Kdriveなど本格的なクラウドサービスが登場してきたのだった。その中でもYahooBox、Kdriveの二つは無料で使える保存容量が抜群に大きく、私自身はその二つを使って、もはやパソコン外付けハードデイスクにバックアップすることなど一切やめ、すべてのバックアップフアイルはYahooBoxとKdriveの二つのクラウドサービスに保存することにしたわけだ。

YahooBoxは実は一作年末頃からすでにリモートストレージサービスを発表していたのだが、どうも「同期」がうまくいかないところがあった。それで使用登録していたものの、しばらくその使用を見送っていたのだった。が、現在ではその不満も解消、非常に使いやすくなった。Kdriveもその使い勝手非常にいい。今はYahooBoxとKdirveの二つをラウド保存のの中核としているわけだ。そうなった経緯については昨年10月2日ののBLOGに詳しく書いているので参考にされたい。

私の場合Kdriveの方は30G、Yahooは50G(プレミアム会員)が無料で使えるから、当面一般文書の保存には十分である。その文書記事(BLOGなど投稿のもの)に関わる写真、イラスト位は文書と共に保存してもさして容量を喰うことはない。

写真など保存容量の多いものは、パソコンにも入れるが、バックアップの意味ではPicasaとか、GoogleのSNS、Google+に無料保存できる。さらに保存容量が特に大きい動画もパソコンにも保存するがバックアップの意味ではYouTubeに入れればいいのだ。

最近のパソコンハードデイスクはなにしろ最低500Gとか1T保存できる時代。問題はそのバックアップで、それは従来は、外付けハードデイスクに保存していたが、今はもうそれもすべてクラウドサービス、YahooBox、Kdrive、そして写真はGoogle+、動画はYouTubeにバックアップの意味で入れることにしている。しかもクラウドに入れたものは、共有とと私有を上手く使い分ければいいのである。

中心となる文書フアイルはYahooBoxだけで十分なのだが、念のためいまはKdriveも併用している。あくまで念のためである。

YahooBoxはいまのところ50G無料だが、当面は十分その範囲で収まりそうだが、すでに近い将来なんと1000G、プラス300円で使えるようになることは発表済である。そうなったらもうもう安心だ。

クラウドサービスとなるとただフアイルを保存するというだけではない。その内容の共有、公開、スライドショー、共同編集などいろいろ目的があって、その目的に応じてGoogleDriveやSkyDriveなども無料の範囲で適宜使い分けていけばいい。さらにそのために有料の容量を増やしても、その費用などせいぜい月300円とか、実際しれたものだ。

まとめ:

・パソコンで扱うフアイル、データを外付けのハードデイスク、USBメモリーなどに  バックすることなど今や全くその意味も必要もなくなった。全て現存のクラウド保存、 リモートストレージのサービス、仕組みを使ってそれができる。パソコン作業の中、目 的のドライブフォルダーへの保存作業は、全て自動的にクラウド上に保存されてしま  う。そこに保存されたものの安全性は絶対なのだ。ただ自分の操作ミスのことなども
 なども考え、一つではなく二つ以上のクラウドサービスを併用しておけばより安全なの だ。

・パソコン作業の中でクラウドへの保存が自動でなされるという意味はお分かりであろう 以前はネット上のサイトにフアイルを送りだすこと自体結構面倒な作業であった。いま は上記のようなクラウドサービス、仕組みがあれば、自分のパソコンへのドライブへの 保存操作だけで、パソコンと全く同じドライブ、フォルダーの内容、あらゆるフアイル が自動的にクラウド上に保存されてしまうのである。まさに完全自動バックアップであ る。

・写真とか動画はその保存容量が大きいが、最近の大容量のクラウドサービスを利用すれ ばその保存も十分可能である。ただしそうしたものは適宜その専門のクラウドサービス 写真に関してはFacebook、Google+、Picasaなどのそれ、動画に 関してはニコニコ、YouTubeなどを利用すればいい。

・日本の場合音楽関係のクラウドサービスは海外諸国に比べて非常に遅れているようだ。 iTune、Googleなどのサービスがすでに始まっているが、私の場合それはま だ少々お試しという段階である。

・もう一つの問題はメールのバックアップである。これについてはGmailの利用がお 勧めである。もちろんGmailをメインメールとして使っていいが、むしろ通常使っ ているWindowsLiveメー ル、プロバイダーメールを使いながら、Gmai lはバックアップ的に使うのがいいのではないか。メインに使っているメールすべてを Gmailに転送しておくことで全メールのバックアップが簡単にできる。大容量保存 のGmailはそれに最適である。

・クラウドサービスとかバックアップと言えば、便利なのはEvernoteだ。こちら はなにかにつけて記録メモ・ノートとして使える。ネット記事、自分作成の記事なんで もEvernoteに保存しておけばいいのだ。これまさに永遠のノートその過去デー タの検索も実に簡単である。これぞまさしく超簡単クラウド保存サービスではないか.

tad

関係記事:

パソコン安全対策:nikkei
YahooBoxとKdrive:blog 
 
 


2013年2月13日水曜日

急激なIT化が進む教育界、授業にタブレット端末


「東京都荒川区は2014年度、区内の全小中学生に授業用のタブレット(多機能携帯端末)を配布する。教員が操作する電子黒板と連動。紙の教科書ではわかりにくい場合に生徒の席で動画が見られたり、一人ひとりの習熟度に合わせたドリルを表示したりする授業が可能になる。学ぶ意欲や理解度を高める効果があるという。

まず13年度に小学校3校でモデル事業を始め、運用方法を検証する。13年度予算案に関連費用約5000万円を計上した。国は全国20校でタブレットなどを使ったICT(情報通信技術)の実証実験を進めているが、自治体が独自で全生徒に端末を配布するのは珍しい。

疑問に感じたことをインターネットですぐに調べられるほか、タッチペンで操作し、ノート代わりに使うこともできる。荒川区立の小学生は24校に約8000人、中学生は10校に約3000人。予備も含め、約1万2000台を導入する見通しだ。端末や教材ソフトは企業からリースする。14年度の導入費用は数億円を見込む。

荒川区は09年度には電子黒板を導入している。西川太一郎区長は「できるだけ早くやりたい。(全生徒への端末配布の)準備ができ次第、13年度に補正予算を組み、前倒しで実施したい」と話している。」nikkei  2月12日

「デジタル教科書を使う試みはすでに始まっている(北海道の小学校)=NTTコミュニケーションズ提供。

デジタル教科書とは大型ディスプレーやパソコンなど教育用の電子機器やそのための教材の総称。生徒一人ひとりが情報端末を持ち、教室の前面に備えた「電子黒板」などとネットワークで相互に接続し授業に活用する。教科書の内容を電子化するだけでなく、生徒が積極的に意見を発信する授業を実現するのが目的だ。総務省は2015年度に小中学校の全員にデジタル教科書を配備する目標を掲げている。」nikkei 2010年12月31日

上記二つの日経新聞の引用記事、後者は2010年、12月のもの、前者は昨日の記事だ。世のデジタル化が学校教育にも浸透し、ついに公立小学校で、授業にタブレット端末を全面的に取り入れる動きが本格的に始まったということだ。こんなことが一区長の判断でできるようになったのも、世のあらゆる分野でのデジタル化、それを可能にする環境の整備が進んだこと、デジタル機器価格の低減などの背景がある。

かっては文部省るものの存在があって、こんなことは一区長の判断ではできそうもなかった。しかし、現在それは「文部科学省」となったのだ。

初等中等教育のデジタル化はなにも我が国だけのことでなく、世界的な潮流、その教育成果が、国家の将来を左右しかねない情勢となってきたのだ。教科書のデジタル化は荒川区だけでなく、引用記事のごとく、総務省は2015年までに全国の小中校全員にデジタル教科書を配備する目標を掲げていた。今回の荒川区の取り組みもそうした国の目標に沿ったものなのだ。

私がこうした問題に興味があるのは、私自身、パソコン・ネット好きで、世のIT化・デジタル化・ネット化が、さまざまな形で世の中を大きく変えていくだろうということに大きな関心を抱いているからだ。そのことは一作日のBLOGでも書いた。

そのこともあって、私は近くの小学校にもう10年近く子どもたちにパソコンを教えるボランティア活動をやっている。一人でも多くの子どもにパソコンの面白さ、それを学ぶことの意味、大切さを教えたい、伝えたいという願いがあるからだ。

いま都の公立小学校、中学校にはは40台のパソコンが設置された専用教室があり、そこで、細々と極めて限られた時間パソコンの使い方が教えられているという現状なのだ。それでも、全くないよりはましなのだが、常々どうしてもっとそれに時間を割き、使えるパソコンの台数、教室も拡充しないのかと思っていた。しかし、それはコスト的にも時間的にも無理だということも理解していた。

ところが最近はそんなことを言わなくても冒頭引用のニュースのような状況になってきたのである。パソコンが設置された教室に行って授業を受けるのでなく、いつもの教室で、それもあらゆる科目の授業で、電子黒板とタブレットのデジタル教科書が使われた授業になるということなのだ。タブレット端末というが、それはまさにPC(パーソナルコンピュータ)、一人一人が自分専用に使える、使う状況になってきたわけだ。それが本当でそうでなくてはならない。

パソコンといい、タブレット端末といい、それを使う目的、中身はなんら変わることはない。インターネットに接続され、さまざまなアプリケーションソフト(学校の場合それは教科書なのだが)が入っているという点ではパソコンであれ、タブレット端末であれ、その使用目的からみてそれは同じものであっていい。

問題はそれをタッチで操作するか、キーボードマウスで操作するかだけの違い。その両方をうまく使わければいいだけのことだ。タブレットの場合、文字入力にせよなんいせよ、指先に加え、手書きペンを使うことが多いが、それが一つ大きな教育目的に適う面があることなど言うまでもあるまい。漢字を習うということなどがそうだ。ただ同時にキーボードを使い文字を大量にスピーディに入力することの大切さ自体はタブレットになっても何も変わることはないはずだ。

パソコンの場合は操作が難しく、それを扱える先生が少ないのが問題だ。それがタブレットになると操作が簡単だからいいなどと言われている。もちろそれはあろうが、元々そんなことは大した問題ではないのだ。

さらにタブレットを導入することで、先生本来の役割が変わるとか、場合によっては先生の数が足りないのをそれで補えるなどということは全く違うと思う。さらに生徒子ども達が問題をゲーム感覚で解けるので関心、集中力が持続するなどというメリットをあげているようだがそれも違うと思う。どっちにしても、子ども達そんなことにはすぐに飽いてしまうものだ。手段方法も大切だが、問題は子どもたちに、問題を説く面白さ達成感をどうあじあわせるかなのである。

教科書をデジタル化することで先生達はこれまで時間を取られていた、教材の作成、配布、採点などの時間が大幅に節約、カットできる。そして、その分、その時間をより個性に応じた自主的、創造的問題解決能力を指導できるはずなのだ。それで先生、教師の本来の役割がより重要になるということであって、デジタル教科書の導入で教員の不足を補う、能力不足を補うなどという考えは大間違いではないか。

tad

関係記事:

授業用タブレット全小中学生に配布 東京・荒川区 :nikkei
デジタル教科書を使う試みはすでに始まっている(北海道の小学校):nikkei
タブレット学習システム:sharp



2013年2月12日火曜日

観光客急回復


「政権交代を受けて円安傾向が続く中、日本を訪れる外国人観光客が急回復してきた。日中関係の悪化を反映し中国人は回復の兆しが見えないが、東南アジアなどからの客が増えている。政府は2012年に836万人だった訪日外国人数を13年は1000万人にする目標。円安を商機の拡大や地域振興につなげようと全国各地の観光業者や自治体が動き出した。」
nikkei  2月10日

「札幌市の大通公園で11日まで開催中のさっぽろ雪まつり。会場内は例年以上に外国人観光客でにぎわっていた。雪像を前に写真撮影をしたり、屋台村でみそラーメンを食べたりしている。「ファンタスティック(すばらしい)」「アローイカップ(おいしいね)」。周囲から英語、タイ語、中国語など世界各国の言葉が聞こえてくる。昨秋の新千歳―バンコク線の就航に伴い、東南アジアからの客も目立つ。nikkei 2月11日

アベノミクスの功罪があれこれ取り沙汰されている。円安で自動車など輸出産業が活況、お陰で株価高が続いている。いい調子である。

その一方で、円安となれば当面の懸念は物価への影響だ。ガソリン、灯油の価格が高騰、とりわけ厳冬の季節、灯油の高騰は国民生活を直撃している。食料品価格もじりじりと上がりだした。株があがろうが、トヨタが儲かろうが、我々年金生活者には生活物資価格の上昇はもろにこたえる。

円高、円安、あちらにとってはプラス、こちらにとってはマイナス、さて一体どの当たりが妥当なのか。90円位がいいのか、やはり100円位なのか。それがよくわからない。著名な経済評論家たちもいろいろ言ってるが、さてどの位のレベルが妥当なのか誰も明確な答えをしてくれない。消費者国民の一人としては、なんの根拠もないが、円は当面90円95円位で推移しそうだし、まあその辺が妥当なんだろうということにしておこう。

さて新聞のニュースをチェックしていて、円安で息を吹き返した重要分野が輸出関連の他にもう一つあったことに気づいた。観光産業である。その分野は円高に加え、東日本震災で、このところ日本への観光客が激減していたのだ。

かっての自民党政権の時も、民主党政権になっても、またまた自民党政権に復帰しても観光事業の推進、外国からの観光客の誘致が日本にとっては重要な国策、経済成長の重要な分野の一つであることなど誰も否定しない。

2011年の東日本大震災、そして円高の影響でこのところ外国からの観光客が激減していた。が最近の円安、福島原発事故への不安の解消もあって、12月の統計では震災前の5割増しという結果になったそうだ。これもまさしく円安の功、おかげの一つである。

政府観光局は2013年外国からの訪問客1000万人を目指しているが、中国からの観光客が元のレベルに戻れば、その数字の達成は容易なのではないだろうか。向こうだって日本の観光客が減り困っているはず。そうしたことから言っても、現状の争いの矛をなんとか収めて欲しいと願っているのは観光業者、自治体だけではあるまい。

観光旅行の交流を通じて、一般国民が互の文化、国民性などについてが理解を深めることこそが、長い目でみた国際交流、国際平和、ひいては互の国の安全保障ののためにはなにより大切なことではないか。

観光事業ということになると、日本は世界でも訪問観光客数世界第30位という後進国なのだ。後進国という言葉自体、もう死語であるが、後進国で悪ければ、発展途上国、逆に言うと、この分野こそ、日本にとってはまだまだ未開拓、これからの発展が大きく期待できる分野でもある。まさに発展の余地、可能性の極めて高い分野なのだ。

一昨日、昼食後、たまたまチャンネルを回したら、某局で映画「ローマの休日」をやっていた。それは白黒映画、オードリヘップバーン、グリゴリーペック、かって英語の勉強のため、それこそ何度見たか分からない映画、もうそのストーリなど知り尽くしたものだ。それがもう楽しくておもしろくてたまらないからまた最後まで一気に観てしまったのだった。

ローマにはかって二度ほど行ったことがある。そして、その都度あの「ローマの休日」の場面を思い出しながら、それぞれの訪問地、観光地を懐かしく訪れたものだ。ローマはおそらくパリなどと並んで世界中からの訪問者の多いことでは有数のところだろう。その観光収入がもたらす地域、国家への経済効果の大きさははかりしれないものがある。世界中の観光客があの映画の場面をたしかめに行くのだ。まさにヘップバーン、グレゴリーペックさまさまだ。そんなことをふと思い出しながら映画を観ていたのである。

時代はまさにフルカラー、ハイビジョン、3D映像のネット時代だ。この国には北は北海道から南は沖縄まで、ありとあらゆるすばらしい、歴史的、自然観光資源が存在している。それを世界中の人々にどう伝えていくかである。

アベノミクスの経済振興、成長戦略の中に一つ、この観光資源開発、観光事業推進プロジェクトの重要性がもっと折り込まれていいはずだ。

tad

関係記事:

観光客回復:nikkei 
札幌雪まつり:nikkei
外国人客数30位…観光大国になれない:nikkei
政府観光局統計:tourism data 



2013年2月11日月曜日

パソコン・ネットで老後を充実させる



ー「高齢者はIT苦手」はウソー
 
【「高齢者はIT(情報技術)が苦手」という認識は、改める必要がある。すでに60代の半数以上がインターネットを利用し、ショッピングやコミュニケーションの手段として使いこなしている。「ITを使いこなすデジタルシニアが増えてくれば、彼らの知恵を生かす新ビジネスやシニア層の在宅就労も増えてくるのではないか」と東京大学大学院情報学環教授の橋元良明氏は予測する。】東京大学大学院情報学環教授 橋元良明氏 nikkei  

この記事を読んでこの先生、まずはなにを当たり前のことをおっしゃるかと言いたい。私の身の回りにいっぱいそういう人がいる。もちろん私自身もその一人のつもりなのだが。
パソコンクラブの仲間に、これから先どうなるかまだ決まっていないし、決めてはいないが、仮にさらに時間が進んで、老人ホームなるものに入った場合でも、パソコンとネットさえやっておけば、少々体が動かなくなっても、自身退屈することはないし、ホームの入居者にもそのおもしろさを教えてあげたい、教えてあげるのだと、考えている方がいらっしゃる。実に前向きですばらしいことだ。

まあ先のことはとりあえず別にして、今朝は自分自身のパソコンライフ、ネットライフの楽しみについて書いておこう。それもこれも、この冒頭引用の日経新聞記事を読んだことがきっかけである。橋元先生その通りですよ、ということ、それについて自分の思い、体験、感想を書いておく。

私自身の毎日、パソコン、ネットがなければ何も始まらないと言っても過言ではないだろう。それを中心に毎日の生活があり、さてこれからその関連で何をやるかだ。やりたいことが山ほどあってそれを一つづつやることが楽しみで楽しみでしかたがないのだ。

もちろんパソコン以外にも音楽の趣味、健康維持のためのスポーツ、ボランティア活動などがある。そのスケジュールを一つづつこなしていくこと、たしかにそれはある意味ストレスではあるが、それぞれの達成度に満足したり、不満をもったりすることがいいのである。よくなんのストレスもなくのんびり過ごしたいなどと言うが、毎日生きていく上でそうしたストレスなるものがなくなったら、人生もう終わりではないのか。

音楽の趣味、健康維持のためのスポーツのことなどはとりあえず横においておく。今朝テーマのパソコン・ネットのこと、パソコンライフについて話を進める。

私のパソコンライフ:

・パソコンなるものに出会って以来ほぼ30年、私にとってもはやパソコンなしの生活な ど考えられない。
・少々きざな言い方だが、パソコンは最高の「知的生産の道具」なのである。
・毎日最低2時間はパソコンの前に座っているが、それでやることがなくなったり、飽き ることは全くない。
・毎日ろくでもないBLOGを延々と書いている。それは日記の代わりであり、人生の記 録のつもりである。
・そのテーマは無限にある。パソコンのこと、趣味のこと、世の政治・経済・文化のこと、人のことのことなどなど話題はつきない。
・そうした話題のヒントは、TV・新聞・雑誌、人々との雑談、旅行ほかあらゆる場が、 テーマ発見の場であり、問題意識をかきたててくれる場でもある。
・どんなテーマでBLOGを書くにせよ、書き初め、その内容は漠然として定まらないの が普通だ。ところが一旦それについて書き始めると、もう次から次へと書いておきたい ことが山ほど浮かんでくる。
・毎回、今日こそはツイッター程度とは言わないが、せいぜい30行50行程度の文章に しておこうと始めるが、一旦書きだすと、あれもこれもとついついどんどん長くなっ  てしまう。きちんと要旨をまとめる能力に欠けているのだ。
・読んでいただく方には迷惑だろう。勿論いいたいことをもっと簡潔にまとめる訓練が必 要であることは分かっている。それが難しいのである。
・思いついたことは出来る限り記録として残しておきたいのである。もとまりのないこと この上ないが、読んでいただく方にはお許しいただくしかない。
・毎回BLOGはFacebookやTwitterに転載するがそれが本来のSNSや Twitterの正しい使い方、参加のしかたがどうか分からない。他の方のそれと違 うスタイルであることは承知の上でやっていることである。
・ただ情報発信ということについては、自分の言いたいことをまとめて発表するという意 味では、やはりBLOGに勝るものはないと信じてそれを続けている。

パソコン・ネットは道具であり、目的ではない:

・パソコンなるものををやってみたいので、パソコンクラブに入会したいという方が数多 くいらっしゃる。最近はタブレットなるものが出てきて、それはさらに加速するかもし れない。ただこれについては大きな誤解がある。パソコンといいタブレットといいそれ 自体は目的ではなく、それは単なる手段、道具である。
・問題はパソコン・ネットで何をやるか。それがBLOGであり、SNSであり、お絵描 きであり、動画鑑賞・音楽鑑賞なのだ。それを楽しむためにパソコン・ネットをいかに うまく使うか、使いこなすか、なのだ。
・ただ何をやりたいのか、その目的意識のない人は、パソコンなどやっても長続きしない ものだ。
・目的意識が希薄でパソコンの使い方ばかり気にする人がいる。そんな人はパソコンを使 う事自体なかなか上達しない。なにをやりたいか、目的をきちんと持っている人は上達 が早い。 

単なる道具ではあるが、第二の頭でもある:

・パソコンをうまく使いこなせるかどうかは、それぞれ人次第だが、ただそれを使う限り、使いやすく、性能の高いものを選んだ方がいいことも当然のことだ。
・パソコンハード・ソフトを購入すること、高速のネットを使うには結構大きな費用が掛 かるが、それが割りに合わないとか、そこまでしなくてもなどと投資を惜しまないこと だ。
・それはまさに、知的作業、知的生産物を生むための道具、云わば自分の頭脳の代わりを 務めてくれるものである。

昨日昼過ぎパソコンの前に座って、ある作業をしていたら、NTTのフレッツ光の担当者から電話がかかってきた。最近光TVなるものが出たのだが、2か月無料で試してみないかという誘いがあった。我が家の場合今光回線でパソコン・ネット、地デジ、BSなどTV、IP電話などもやっているのだが、それに加えて50チャンネル近いチャンネルが見れる光TVチャンネル導入の誘いであったわけ。

とにかく2か月無料で使えるということだったが、私は、TVに関しては今の地デジ、BSチャンネルで十分、それだって一日平均2時間見るかどうか、そんな沢山のチャネルなど月4000円も払って見ることはない、その時間もないとお断りした。

実際、TVなど見ている時間は一日平均せいぜい2時間あるかどうか。第一TVを見ているのと、パソコン・ネットで何かやっているのではその内容は抜群の違いがある。TVなどどこまで行ってもただ受身である。このドラマ、映画、おもしろかった、楽しかった、つまらなかったそれだけだ。それはただ座って見ていればいい。それで終わりである。

パソコンでの作業の中身は違う、電源を入れて立ち上げてもそれだけでは何も始まらない。インターネットにつないでニュースをみたり、動画を見たりしてもただそれだけのこと。そんなに頭を使うこともない。

ところがそこで見たこと、発見したことについてBLOG記事を書いたり、Facebook投稿記事を書いたりし始めたら、それに関して頭を使う度合いは、ただ見ているのと天と地ほどの違いがある。単なる情報受信でなく、情報発信となるとその頭の使い方の違いは、質量とも違うのである。

パソコンで文章を書いていると指先は使うは、頭は使うは、ただTVをみているだけとは全然頭の使い方が違うのだ。実はそのことの違いの大きさ、その意味の違いに気づいていない人が案外多いのではないだろうか。

それがまさに今朝のテーマ、パソコン、ネットで老後を充実させるの意味なのだ。パソコンを始めると、なぜこんな面倒なものと格闘しなければならないのかと言う人がいる。いやその格闘こそが、最高の頭の体操になのである。

tad

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高齢者にとってITとは:nikkei 

2013年2月10日日曜日

全ては参院選後なのか


「参院選優先内閣でいいのか:

安倍内閣が発足して1カ月余り。国会での所信表明演説、予算編成を見ていると全てが今夏の参院選を意識して重要な案件の先送りが目立つ。前任の野田内閣が苦労して消費税の段階的引き上げを決定したが、消費増税は社会保障との一体改革が前提だったはずだ。しかし、年金や医療などの改革論議は全く進まず、専ら来年4月からの消費税引き上げの環境作りのための経済政策に執心しているようだ。

 社会保障の中でも年金問題は喫緊の課題で、支給額の減額や保険料の引き上げなど小手先の改正ではいずれ近い将来に破綻(はたん)するだろう。医療費は高齢化、医療の高度化に伴い毎年、確実に増えており、早急な改善が必要だ。特に70歳代前半の医療費は本来2割が本人負担であるが毎年約2千億円の税金を投入して1割負担に抑えている。高齢者の反感を恐れ負担増を先送りしたのだろう。

 原子力発電や代替自然エネルギー、さらにTPPの参加をどうするのか安倍内閣の本心が見えない。このままアベノミクスに期待していると消費増税だけなされ、参院選で自民党が大勝すると、憲法9条改正や国防軍が創設されるのではないかと危惧している。この現状を冷静に判断し政治を注視していきたい。 中村和男  朝日新聞  

「勝てばなんでもあり:

 安倍首相の所信表明演説では、原発・エネルギー政策、社会保障改革、憲法・集団的自衛権問題への言及ナシ。安倍ミニバブルを何とかもたせて参議院選挙を乗り切り、参議院選挙で勝てば何でもアリ?小泉政権の郵政選挙と同じで、ひたすら刷り込みでしょうか」金子 勝 Twitter  

上の二つの記事、長々と引用させていただいたが、これからの半年先行われる参院選挙結果が日本、日本の政治がどうなっていくかを占う大きな岐路であることを示唆したものだ。安倍内閣の政権運営なかなか、したたかというか、ずるいというか、たいしたもので、衆院選前宣言していたアベノミクスの成果らしきものを円安、株高で示している。憲法、集団的自衛権など国防問題では、アルジェりヤのテロ事件、そして中国のレーダー照射事件などの追い風もあって、着々と世論を味方につけている感がある。

あの深刻な原発問題ももう風化してしまった感がある。消費税増税、もはや既定路線、なるほどなるほど円安で企業が儲かり、株が上がり、景気がよくなればなんとかなりそうだ。そういう雰囲気なのである。なにもかも、安倍首相とその取り巻きの思う壺のように世の中動いている感がある。

もっと調子に乗っていいところだが、その点さすが百戦練磨の自民党、安倍首相その本音を出すのはもう少し先、夏の参議院選挙を乗り切ってからとしているのは明白である。

それもこれも先の歴史的政権交代後の民主党菅政権が一年後の参院選でもろくも大敗しその後の民主党政権の崩壊につながったことを他山の石としているのだ。あれだけの熱狂的な民主党政権への支持があったのに、菅首相が消費税増税論を持ち出したとたんに参院選での大敗だった。その轍を踏んではならぬと安倍政権、誕生の瞬間から徹底して、国論を二分するような重要テーマ、消費税増税、社会保障改革、憲法、集団的自衛権、原発問題、TPP問題などの問題については、明確な姿勢を打ち出すことを封印し、一つ一つ世論の動向を見極めながらやって行く作戦なのである。それは戦略などという高尚なものでない。ただ選挙に勝つための作戦なのだ。なにが国家のため、国民のためということでなくとにかく選挙に勝つことが最優先なのである。

そんな手口、作戦は金子氏のような学者、政治経済の専門家でなくても、上記一般市民の中村氏や私のようなものにもそうした魂胆は見え透いている。要するに国論を二分し、国民の生活に直結する重大テーマについては、当面一切明確にして、具体的なことは言うの避けておこうとしているのだ。参院選で現在のねじれ現象を解消した上で、安倍内閣本来の本音というか、本来の狙いの政策を一気に打ち出そうということなのだ。

幸いなことに消費税増税は幸いにして先の野田内閣がその道筋をはっきりつけてくれている。後は約束通り、これで経済は増税を可能にする状況になりつつあるではないかということですむ。社会保障の一体改革はもともと公明と進めてきたものの延長でやればいい。もはや民主党の主張を取り入れる必要など全くない。

憲法改正、集団的自衛権、これについてはどうやら世論がかなり前向きに動いていることを察知し、自信を持っているらしい。近く訪米の際、日本が集団的自衛権の積極的見直しをオバマへのお土産とするつもりだったそうだ。ナイジェリヤのテロ事件や中国のレーダー照射事件が世論の追い風ともなっている。ところがその集団的自衛権については、おっとどっこい、オバマ政権、アメリカ自体、それは中国に余計な刺激を与えるから今回は持ち出してくれるなと釘をさされたらしい。

世の中そうなんでも思うように進まないものだ。そもそもアメリカは日本の軍備自体がこれ以上強力になることに期待していない。いざという時、もともと軍事面で日本の直接参加など、期待していないのだ。もちろん後方支援は歓迎だが、よくあるように、アメリカに向かって飛んでくるミサイルを日本が打ち落としてくれることなど期待していない。そんなことにより、沖縄の基地問題などもっとちゃんとやれよということだろう。要するにアメリカの本音はそんなことより、日本は黙ってアメリカの言うことを聞いてくれたらそれでいいのだという位のスタンスなのだろう。

実は集団的自衛権なんてことより、アメリカが今日本に一番期待しているのは、むしろTPPへの参加であり、アメリカの圧力業界団体が期待するように、ことを運びたいのだ。これまたみえみえではないか。自民党の中でもTPPに関しては慎重意見が多く、またことの運び方によっては参院選に大きな影響があることは分かっている。安倍内閣もさすがこれについてはその本音をなかなか見せないというところである。

こうしたすべての問題は、実はもはや待ったのきかない重要テーマばかりである。選挙が重要なことはわかる。が、言いたいのは、その本音を隠しておいて、できる限り有利に選挙を戦い、参院選挙後その本音が出てくる、出すということでは困る。

消費税増税、税制改革、社会保障改革、憲法改正、集団的自衛権、TPP、原発など懸案事項について、安倍内閣はそのの方針、その具体的政策、その実施のタイムスケジュールを明確に選挙の争点として国民に示すべきである。もちろんそれぞれの政策について、自公だけでなく、他の野党も明確にそれぞれのテーマについてそれぞれの政策を明示して選挙を戦うべきである。

日本人は実に熱しやすく冷めやすい人種である。あの福島原発事故の深刻な状況などもうさっぱり忘れ去ったような感がある。株高だ、テロ事件だなど安倍内閣に追い風ばかり吹いているわけでない。TVを見ていても、毎日地震報道のない日はない。どうしてこの事実を深刻に捉えないのか。

安倍政権になって、あの沖縄基地の問題の一体何がどう解決したというのか。うっかりかも知れないが、正直に普天間基地の海外移転を言った鳩山氏がどうして国賊扱いなのか。以前の沖縄基地の状況をそのまま引き継いで知らん顔をしている安倍内閣がどうしてこの問題に関してはなんの疑問符もつけられないのか。

消費税増税の道筋をつくったのは野田前首相だ。今の安倍政権、その部分だけうまく食い逃げの道具に使っているのだ。

日本ってやはり正直ものが馬鹿をみる国らしい。そういえば鳩山、菅、野田各前首相、みんなそうだ。鳩山氏は沖縄県民のの負担を軽減すべく県外移転を主張した。菅氏は原発事故の深刻さを経験して、脱原発を主張した。野田氏は財政赤字解消のための消費税増税を主張し、その道筋をつけた。その方向性自体それぞれみな正しいものと自ら信じ断行したのだ。そのプロセスがいかにも未熟であったことは指摘せざるをえないとしてもだ。

一方安倍首相はそうした個々の問題についてなんら明確な姿勢を打ち出していない。集団的自衛権については自信満々であったが、それが少しピンとはずれであったことに気づいたかどうかだ。

それは別にして、そうした個々の重要課題について明確な方向性を示し、それをもって参院戦に臨むべきことなど、一国の首相として政治家として一番大切なことではないか。

tad

2013年2月9日土曜日

ピアノ発表会


2月3日日曜日ピアノ同好会の発表会が立川市にあるレンタルピアノ会場で開かれた。
現在月2回程度、武蔵村山市民総合センターの音楽室を借りて、趣味でピアノを弾いて楽しんでいる会がある。現在はその講師でも顧問でもないが、以前その同好会会員の殆どが習っていたピアノの先生がいて、その先生のピアノ教室の生徒も参加、共催という形でやったわけだ。発表会と言っても、大きな舞台の会場でなく、グランドピアノが設置されている街のレンタル音楽室でやる程度のものだった。出演者それにその家族、友人など40名ほど集まった会であった。

当日の参加者は10名、丁度流感が流行り出した時期であり、予定していた人が3人ほど参加を取りやめたのは残念だった。私自身はピアノ同好会の方のまとめ役であった。その立場上、プログラムの作成や、会の司会、集合写真の手配まで依頼されていた。結果自分のピアノ演奏そのものについて心配するというか、そんなことに集中できる暇もなかった。そのことがかえってよかったのだろう。自分の演奏については、まあせいぜい常日頃の70点かそこらであったと思うが、無事終えることができてほっとしたものだ。

いや、70点ならまさに上出来。そんな発表会でもそれぞれの参加出演者、いざとなると結構緊張するものだ。いわゆる「大人のピアノ」発表会となると多くの場合、誰しも想像以上に緊張し、演奏途中で立ち往生という場面にしばしば出くわす。演奏途中ちょっと間違えたりすると、その瞬間頭が真っ白になり、もはやにっちもさっちもいかなくなるのである。場合によっては、演奏そのものを打ち切ってしまうということもしばしば起こる。その結果、定年退職後一念発起して、ピアノを始めたのはよかったが、それに懲りて、やめてしまう人も結構いる。

それが「子どものピアノ」発表会だと殆どそういうことはない。殆どの子どもはすんなり予定の演奏ができるのである。もちろんそれは子どもの場合、担当の先生が発表会に備えて2か月、3か月掛けて、ばっちりその子どもの訓練するからではある。

ただそれだけではない。子どもももちろんそういう場に出ることに緊張はするものの、大人ほどのことはないのだ。むしろ楽しみにしていることすらある。大人の場合はそうではない。本来の実力あるなしもあるが、要するに必要以上に、失敗を恐れる、恥をかけないということにとらわれてしまうのだ。子どもはそうした発表会ではほぼその実力通り出せるのに大人の方は、常日頃の70%も出せれば上出来なのだ。極端に言えば、常日頃の実力を100とすれば、その半分も出さればいいと割り切る位でいいのに、ちょっとした失敗をするともうダメ、まさに立ち往生となってしまう。これが大人の悪いところだろう。要するに必要以上にただただ失敗を恐れるからそうなるのだ。

子どもの場合、ピアノを習い始めると基礎から教本に沿って習っていく。演奏会で弾く曲も、その身の丈、レベルにあったものを先生が選び、徹底的な練習をやって上で演奏会に臨む。

「大人のピアノ」の場合、レッスン場で先生について習うにしても、そうした基礎的教材もなにもないまま、いきなり、憧れの曲を弾くことから始める。そもそもそれが憧れでその曲を弾いてみたいというのがピアノを始めた動機なのだ。先生もそれは無理だからやめておきなさいとは言わないし、言うべきでもない。いやその曲を弾くのに極端に言うと一年掛かろうと構わない。それが弾けるようになって、満足すればそれでいいのである。ところがそういうことでは、普通のレッスンの時、先生の前でそれが弾けても、人前、ましてや演奏会となるともうダメである。

そもそも大人ピアノの場合、多くの場合平生から楽譜を見てきっちり弾くという訓練ができていないし、先生もその手抜きを見過ごさざるをえない。暗譜(譜読みしないで覚えてしまう)と言えば聞こえはいいが、玄人の場合のそれとこれでは全くその中身が違う。

それが素人(大人のピアノのレベル)だとその暗譜の意味が基本的に全く違うのだ。そもそもその楽譜を100%見ながら弾くということが出来ていないのだ。いや確かに練習の時はそれをやっているつもりなのだが、それがいい加減なのだ。楽譜と目の前の鍵盤を同時に見ることなど出来ているわけがないのだ。だから演奏会の時、暗譜してやっていていて一瞬つまってしまうと、仮に目の前に楽譜があっても、それがどこだか分からなくなってしまう。そこの楽譜があってもストップした瞬間それが一体どの部分なのか分からないのである。

先生が横にいる時、つまると先生は「ここです」と指さしてくれるが、演奏会ではそうはいかない。もうつまってしまったら、それでにっちもさっちも行かなくなるのである。かくして、憧れてピアノを始めたが、それで大恥、挫折、もうこんなことはやめだとなることが多いのだ。そんなこと全く気にしない人もいるが、実はそれでいいはずだ。

やめる必要などない。もうそんな演奏会になどでなければいいのだ。でも先生について習っていたら、必ず主演を依頼、場合によっては強制される。断るわけにもいかない。さてどうするか、である。

それを話出すと長くなるからうやめるが、要するにそれを続けたいなら、なにがなんでももう発表会になど出ないか、本当は原点に戻ってやはり基本、基礎から学ぶことが一番だと悟ることだろう。本来はそれが本当ではないのか。

要するに「急がば回れ」なのだ。要するにそのレベルに達するには、結局は原点に戻り基礎から学ぶしかないのである。ベートベンだ、モーツアルトの原曲を弾きたいというのであれば、やはり例えば、ピアノの基礎教本バイエルから学ぶことが必要なのである。大人の自分が今更などと思うこと自体が間違いなのではないか。それをすっ飛ばしていきなりショパンなど弾けるわけがないのである。弾けたと思っても、実際には弾けていないのだ。さらにいうならどうしてそんな高度のものを弾かなければならないのか。身の丈にあったものを選んで弾けばいいではないか。超初心者向けの曲を正々堂々弾けばいいのである。

楽譜など読めなくてもピアノ、ほか楽器が弾けるようになるなどという本が沢山出ているが、あれは真っ赤なうそだと思えばいい。やはり楽譜が完全でなくてもいいのが、かなりの程度読めないとピアノを初め楽器が弾けないなどということは当たり前の話ではないのか。

ピアノに限らず、何事もその基礎を一つ一つ積み上げていくことは楽しくないことかいうことだ。そうではないだろう。いきなりショパンだ、ベートベンだなどの必要性はどこにあるのか。バイエル30番くらいをやれれば、相当数自分の好きな曲、童謡、唱歌、外国の名歌をいくらでも弾けるようになるはずだ。それを弾くことを楽しめばいいのではないのか。そうした過程を一つづつ積み上げていくこと自体が楽しいはずだ。もちろん最後に目指すのは当然ベートベン、モーツアルト、ショパンであっていい。

子どものピアノの発表会はみなそうだ。習いたての子ども、もう5年、10年やっている子ども、演奏曲目は全部そのレベルに合わせてやっている。聞いていて、中学生が弾く、ショパンの名曲にはもちろん感心するが、小学3年生の子どもが弾く外国の名歌もすばらしいのである。

「大人のピアノ」、憧れの名曲を弾いてみたいと始めるのは大いに結構。ただやってみてその困難さを知ったらその困難を一つづつ克服していく、その過程を自ら研究し、それを一つづつ克服していく楽しみを知ることがまさに「大人の学習」プロセスではないのだろうか。私なら、難曲を一年掛けて一つ弾くより、簡単な曲を20曲弾けるようになることをまず選ぶ。もちろん子どもが習うような教材もやってみること、先生に言われなくてもやってみる。やってきた。それが大切なことも分かったし、それでいい。

今朝のBLOGこんなことを書くつもりはなかったのだが、これも人生全てラーニングプロセスという一例、記録として書いておこう。

その発表会当日のプログラムを添付した。いや、それもこれも単なる私個人の一つの日記、記録として捉えていただければいい。

tad


2013年2月8日金曜日

世界からテロが絶えない理由


「アメリカが中東やパキスタンなどでテロ組織との戦いに用いている無人機による攻撃が問題になっています。キーワードは、resentment「憤り」。ABCニュースは、多くの市民も犠牲になっているこの攻撃について、各地で憤りの声が上がっていると伝えています。無人機による攻撃によってどんな利益があったにしろ、強い憤りも生んでいる」。
キーワードは、resentment「憤り」。

ABCニュースは、drone「無人機」による攻撃はAmerican arrogance「アメリカの傲慢」だと見る人もいると伝えています。」 ABCニュースシャワー  2月7日
2月7日

「ニュースは、テロ対策においてホワイトハウスの権限をどこまで認めるかが問題になっていると伝えています。

judicial review 「司法による審理」を経ずにexecutive branch「行政府」に大きな権限を与えることには疑問もあると伝えています。キーワードは、executive branch「行政府」ABCニュースシャワー2月6日

上記二つの引用はNHKオンラインのABCニュースシャワー、以前にも紹介したが時事英語の勉強、ヒヤリングの絶好の教材だ。良質の英語教材であり、そのキーワードを通じて時事問題を学べる。

あの悲惨なアルジェリアでのテロ事件で、日本人を含めた多数の尊い人命が失われた。その憎しみ、怒りがテロ組織の理不尽、非情な無差別攻撃に向けられるのは当然である。日本人はもちろん自国民が犠牲になった世界の国々の人々、それぞれの国家は改めてテロ組織撲滅のために戦いを続けなければならないという思いを新たにしたに違いない。

ただどうしてテロ組織がああした非情な無差別攻撃を続けるのかという背景、理由の一端を知っておく必要がある。

アメリカを初め、欧州先進国がテロとの戦いの先頭に立っているのだが、それについて
えっそのアメリカがそんな手段を使っているのかと驚いたのが、このニュースシャワーにある「無人機」による攻撃だった。相手の無差別的攻撃に対抗するには、そうした手段もやむをえないということだろう。しかしそれは、まさにアメリカ軍側については、兵士、士官など人命の犠牲を最小限にとどめる効率よい方法として考えれたものなのだ。それでいいのか。結果そうした無人機の爆撃で、より多くの一般市民が巻き添えを被ってしまうのである。それについて現地市民の怒りが、それはアメリカの傲慢の表れとアメリカに向けられのも必然のことだ。

もう一つ、そうした攻撃について、アメリカ行政府はテロからの攻撃については、その根拠、証拠がある意味少々明確でなくても、それだと思われる相手に攻撃を加える権限を与えられているのだ。(ニュースシャワー第二のキーワード)そのことが結果的に、多数の一般市民の犠牲を生んでしまう結果につながっていること、これまた明白なのである。

テロは撲滅しなければならない。しかし、それについての最大の当事国アメリカのやり方が果たしてこんなことでいいのか、こんなことでは本当にテロが撲滅出来るのかといういうアメリカの良識、良心の一端を示すニュース報道ではないか。

tad

参考記事:

「無人機」による攻撃:abc  2月7日
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2013年2月7日木曜日

「セオリーX、Y、Z」ってご存知?


大阪の私立高校のスポーツクラブ指導者による体罰・自殺問題、女子柔道の選手による体罰告訴問題、そして今度は、これを契機に内部告発が起こりかねない高野連が全国高校に体罰防止を通知したというニュースがあった。私は昔からこの高野連という存在自体が大嫌い。日本は今や体罰の是非をめぐって社会が大きく揺れる事態に発展してきた。それもこれもこのこと事態日本独特の社会現象には違いない。

大体この問題、体罰という行為自体がいいか、悪いかという問題だけに収斂してことの是非が論じられるとこと自体そもそもおかしいのである。どうしてもっとこれを社会全体のあり方として、組織論として論じないのかということがある。

そもそも柔道の世界といい、野球の世界といい、あらゆるスポーツの世界、それだけでない。学校、企業、家庭などあらゆる人間が構成する組織の中で起こる問題なのだ。それが一つの団体、組織として成功をおさめるには、その指導者、管理者そしてその配下にある構成員が一体どういう関係にあれば上手くいくか、その共通の目的、目標を達成できるかという組織論そのものなのだ。

スポーツの団体であればその生徒、選手とその指導者、企業であれば管理職と社員、そして家庭であれば、両親と子どもどうして、そのそれぞれの組織の共通の目的、目標を達成できるかということだ。そのために、指導者はその構成員にやる気を起こさせ、日々努力を続けるべく動機づけるか、そのためにどういう指導とその管理を行ったらいいか考えるわけだ。その管理をいかに強制して必要と思われることを徹底してやらせるかするか、それとも、あくまで自主的にやる気を引き出し、それで人並み以上の努力鍛錬を自主的にやらせることでその目標を達成するか。いずれかなのだ。ももちろんその両方のバランスを取ることが大切だと、アメとムチを使い分ける指導者もいる。問題はその結果いかに最大の結果、成果を引き出すかということなのである。

昔経営学なるものを学んだ。それは要するに組織を成功に導くために構成員を共通の目標に向かっていかに動機づけ、働かせせるかということだ。

その場合、、動機づけするにしても、人間なるものは本来怠け者で、自主的なやる気などなかなか起こせないもの、だからやるべきことを強制する、場合によっては体罰や、懲罰を使ってでもそれを強制することで、結果的にはいい結果をもたらす。それが組織のためにも本人のためにもなる。そうしたやり方を経営学ではX理論と称している。

ご承知のようにそれはさまざまなスポーツの世界でこれがまかり通っているし、きたしまたそれによってそれがある種の成功を納めてきたことはある。体罰があるかどうかは別にしてそういう手法で組織が成功を納めてきた事例はスポーツの世界にかぎらず企業をはじめあらゆる組織に存在するのだ。あの大阪の高校の生徒の中にもそうした手法指導法を容認するというか、むしろそれでいいという生徒がいてもおかしくないのである。そうした指導法を受け入れる生徒、社員がいることも事実なのである。この「X理論」が今もこれからもすべて否定されているわけでない。

一方論理的理論的な指導には従うものの、自ら納得できないことを頭から強制するような指導、ましてや体罰懲罰をもって強制するような強制的場合によっては暴力的指導に反発する生徒、選手、社員がいてもおかしくないのも当然なのである。今回の女子柔道選手がそうだった。そもそも彼女たちはすべて、エリート中のエリート、彼女たちがなぜオリンピック選手、その候補になれたかというと、むしろその強烈な個性、自立心、努力というものを持っていたからこそで、そんな人間に対し、画一的な強制的指導を押し付け、しかもそれに体罰などが加わったら反発が生じるのは当たり前のことであろう。

そういう自立心のつよい選手や社員に対しては強制より、むしろこれも流行語になったが褒めて褒めて褒めまくる、いわゆる「褒め殺し」で大成功を収めるケースがあることは周知のことである。そういう人間の自主性、自主的努力を最大限いかすことがいいのだというこれも経営学の言葉だが「Y理論」というものものがある。強制、統制でなくそれぞれ自主的な目標を立てさせ、それに向かって動機づけることが成功への道だという「目標管理」の重要性が盛んに喧伝された時代があった。いや今もそれが企業経営の世界では主流なのかな。いや、スポーツの世界だって、多くの著名選手はそういう環境で育ったものが多いのではないだろうか。

いや今そのことを詳しく論じようというのではない。それはむしろ組織論というより、人間というものの基本的な心理、心理学の世界ではないのか。そもそも人間には、生来人間誰しも、X理論がいうように怠け者的精神と、その一方で他の人には負けないぞという自主、自立的精神を二つ合わせもっているものだ。その中で、指導者、管理職はその二つをそれぞれ個性を見極めながらら、場合によっては脅したり、場合によってはおだてたり、ほめそやしたらしながら本人が目標を達成するように動機づける、導くという、それが一番いいのだという、いわばX理論とY理論の中間ともいうべき「Z理論」なるものに落ち着くのだ。

よくよく聞いてみると、Xだ、YだZ理論だなど難しいことを言うのだが、どうもそれは当たり前のことではないかということになる。

そうした根本的な組織論から離れて、ただ体罰がいいか悪いかということに収斂してしまうこと自体が間違いだと言いたいのである。今回のそれにまつわる一連の事件の経緯を眺めているとどうも、体育系人間、指導者のある意味いやらしい面、わかりやすくいうとなにがなんでも強制的な指導を徹底することこそが目標を達成することの最善の道だと信じ切っていることなのだ。人間はそんなに単純なものでない。

その一方で、まさにことのバランスから言うと、非体育系、同好クラブ系人間のある意味柔弱性というか、目先身勝手性というか、ご都合主義性を指摘しておかなければならない。それが組織である以上、仮にそれが間違っているというか、自分にとって受け入れがたいものがあっても、黙ってそれに従うべきことも多々あることだ。それは黙って受け入れとけばいいのだ。それを糧として受け入れておくことはやがて自分が指導者になった時自分はそれとは違う行動をする位の度量こそが必要なのであろう。それが強い自立心のベースなのである。強いリーダシップはそういう過程を経て生まれるものではないだろうか。
今スポーツ会で成功を収めている選手達など実はそうした強制的指導を受けてきているのだ、あの女子柔道金メダリストの松本選手がそうだった。彼女は問題の監督の指導を受けながらその中で納得できるものは受け入れ吸収し、できないものはそしらぬ顔でそれを受け流していたに違いないのだ。そのことがむしろあのタフな精神力を生む原点だったに違いないのである。優勝の瞬間彼女があの問題の監督と抱き合った画面が象徴的だった。
彼女は監督に最大に反目し、その一方で最大に共感を共有した相手出会ったに違いない。
いつかテレビでPL出身の清原と桑田が、その当時の思い出話をしていた。桑田はあの高校のいじめ体罰問題に批判の言及をしていたが、その桑田自身部内のいじめの問題に触れていた。そんなことは日常茶飯事、でも桑田も清原もそれを乗り越え、それを糧としてやってきたことを語っていたのである。

話が長くなった。言いたいことを要約しておく。

・こうした一連の体罰問題はただ体罰がいいか悪いかということに矮小化化するのでなく 組織論、日本社会のあるべき論というもっと大きな観点からみるべきだということ。

・先にこの問題で橋下大阪市長がその高校の入試試験実施中止を主張して波紋を呼んだが 私はそのことをむしろBLOGで  評価した。それはまさにそうした問題提起であったと思ったからだ。どうも日本という  社会、そういう明らかに間違ったというか、必ずしも正しくない画一的価値観、倫理間  を押し付けるのが当たり前みたいなところがある。そうした風潮傾向に警鐘をならした  のだと私は考えている

・体罰はなにがなんでも悪いということでもないはずだ。実際に身体に傷を追わせたり  自殺に追い込むような大きな精神的ダメージを与えるようなものであってはならない  ことは当然だが、その一方で子どもが生徒が、絶対やってはならぬような行為を行った それは絶対にやってはならぬことを教えるために必要な場合があるのではないか。よく 西洋諸国でみかけるようにお尻を軽くぶったりする位のことはあっていいし、むしろそ れが必要であることもある。もちろんその場合、やる側はあくまでそれは愛情を持って やっていることだということを同時に示す必要があることは当然だ。

・体罰が如何に深刻であるか、いかにそれが日本のスポーツ界を暗くしているかなど
 いまさら心配することなど全くない。ロンドンオリンピックで日本があれだけの数のメ ダルをとったこと自体がその証拠ではないのか。メダルを取った選手達の顔ぶれを思い 出してほしい。みなそうした問題多いという指導、組織の中で葛藤を続けながら、その 目標を達成してきているのである。彼らは皆それぞれの監督、コーチとのいい意味での 折り合いをちゃんとつけながらやっているのである。監督コーチの方だって、いかに
 すれば最大の成果を上げるか毎日葛藤を続けてきた結果なのである。

・別にそのことはスポーツの世界に限らない。どんな組織、それがスポーツ団体であれ、 企業であれ、さらに家庭という単位であれ、指導者、監督者、リーダーと組織員達の  あらゆる意味での葛藤は必ず発生するのだ。逆説的にいうとそうした葛藤があるから
 こそ本当に強い個性が生まれたり、才能が開花したりすることがあるのだ。

・X、Y、Z理論ということに象徴されるように個人と組織、その二つが共通の目標をも ちそれぞれそれをどう動機づけるかというテーマ、それはまさに大げさにいうなら人間 社会の永遠のテーマなのだ。

まあなにかわけの分かったような分からないことを書いてしまった。この問題、ただ体罰がいいか、悪いかでなく、一つそういう観点で見てみようということだ。こうしたことは一つ一つ自分がこの社会に生まれ、生きてきた道程そのものである、あったということに気づくはずなのである。

tad

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高野連 全国に体罰防止を通知:nhk
柔道女子 “失望と怒り”全文:nhk
理論Z :wikipedia
XY理論: wikipedia