2012年12月30日日曜日

タブレットの方がパソコンより使いやすい?:PC379


パソコンクラブのHMさんが、12月22日の日経プラスワン誌に「タブレットはノートPCの代わりになるかー1カ月試したー何が出来るか徹底調査」という記事があることを教えてくれた。読めばその内容は分かるが、これについて何かコメントをせよとのご要望であったと思う。

私は日経新聞を購読していないが、毎日ネットで主なニュースは大抵チェックしている。新聞本体だけでなく、パソコン、IT関係の専門誌が数多くあってその中のニュースで参考になるものが多い。このBLOGでもそれを参考に引用の上、関連テーマを書くことが多い。このプラスワン誌の記事自体ははチェックできていなかった。

教えてもらった記事のURLでその全文を読むことができた。

その内容、読んで少々驚いた。プラスワンというのは日本経済新聞の土曜日別刷り版のようだが、この記事の中身、果たして専門誌を名乗るにふさわしい内容かどうか大いに疑問を持ったからだ。これを書いたお方は、プラスワンの編集委員だそうで、長年パソコンを使っておられるそうだ。そんな方が書いておられる記事、多くの日経新聞読者が一体これをどのようにお読みになったか、それぞれご感想を聞いてみたいものだ。読者としては長年パソコンを使っておられる方、パソコンなど殆ど使ったことがない方、いろいろいらっしゃるだろう。

パソコンなど使ったことがないが、最近流行りだしたタブレット端末って一体なんだろう、パソコンより使い方が簡単なようだから使ってみようかという人はこの記事を読んでその気になられた方もいるだろう。パソコンはどうも苦手でこれまで敬遠してきたが、この記事を読んで「タブレットなら使えるかも」とタブレット端末購入に踏み切る人がいらっしゃるに違いない。

その程度のことだと割りきっておけば済む話だが、この記事パソコンを長年使ってきたとおっしゃる方が書かれたものとしてはあまりにも雑というか、パソコン本来の機能、タブレット端末との違いなどについてもう少し、きちんとしたことを書いていただかないと不要な誤解を招くのではないかと危惧したのである。今朝はそのことを書いておく。

話を分かりやすくするために、少々長くなるが、記事の内容に沿って書いておく。この記事の冒頭から始まる。

「タブレット(多機能携帯端末)を使っていると「何ができるの?」と聞かれる機会が増えた。改めて質問されると答えに困る。主にインターネットの閲覧に使っているが、もっと別の用途があるかもしれない。何ができるのか、1カ月間、肌身離さず持ち歩き、確認してみた。」記事引用

コメント:

タブレット端末のことを(多機能携帯端末)と書いておられるように、そもそもその中身基本的にはパソコンと同じものなのだ。多機能とおっしゃりながら、自らは「インターネット閲覧に主に使っているが、別の用途があるかもしれない」とは一体なにをおっしゃっているのか。別の用途どころか、その使い方、使い勝手は少々違うが基本的にはパソコンと殆ど殆ど同じ機能があることはきちんと書いておかれるべきであろう。

本屋に行けば、タブレット端末、スマホに関するガイドブックが山ほど出ている。それはその多機能性をどうやって活用するかというものなのだ。それは実際には全てパソコン自体の機能と重複する。ただ違うのはタブレットとスマホは携帯性(モーバイル)に優れ、主に外出の時に使うものだ。一方パソコンの方は事務所だとか、自宅の机の上で使うものという違いがあるだけのことである。そのことをまず明確に説明されることだ。

自宅や会社事務所で使うのと、外出時、乗り物の中、歩きながら使うのとその目的、使い方に違いがあるのが当然なのだである。しかし実はその機能、性能ついては殆ど共通していることをまず理解しておっく必要がある。

「今回使用したのは米アップルのiPad2。画面サイズは10インチで、メモリーは16ギガバイトだ。最新型の2世代前になるが、この機種でできることなら、最新型でもできる。できること、できないことは最新型と大きく変わらないはずだ。電話回線でインターネットに接続できるモデルではないので、外出先でネットにつなげるための装置(無線LANルーター)を使う。」記事引用

コメント:

・「電話回線でインターネット接続できる」うんぬんとあるが、これ一体なんのことか。 外で使う場合はそれなりの無線受信装置が必要なことの説明は当然必要なのだが、それ はパソコンでもタブレットでも全く同じことである。

・タブレットといえばたしかにアップルのiPadが代表的なものだが、最近ではアンド ロイド系のもの、さらにWindows系のものが増えており、世代の違いもあるが  タブレットその選定に当っては、どのOSを選ぶかが、後で簡単に触れられてはいるが 価格的なことでなく、パソコンとの連携の上でそれが大きな問題、大切なポイントであ ることを是非説明しておくべきだ。

・パソコンはWindows、タブレットはiPadで悪いわけがないが、要するにパ  ソコンといい、タブレット といいスマホといい、まずはそのOS、Windowsな のか、iOSなのか、アンドロイドなのかに注意すること、留意することが大切なの  である。使い方、使い勝手のよし悪しを決めるのは、ソフト、周辺機器のことが関わり それがどんなOSであるか、まずその違いの大切さ、認識が重要なのである。

「まずはインターネット閲覧。これは全く問題なかった。それどころかタブレットのほうが便利な場面がある。なにしろ起動が速い。パソコンのように起動してネットにつなげたら【ソフトをアップデートしてください】」などと言われることもなく、ストレスなく使うことができた。」記事引用

コメント:

・こんな言い方だと大いなる誤解が生じる可能性がある。インターネット閲覧が早いか遅 いかは、それがパソコンか、タブレットかでなく、それぞれ接続のための回線のスピー ド、PC、タブレットの動作性能(CPU、メモリーの大きさなど)による。光通信と ADSLの通信スピード、最新のタブレットと3世代前のパソコンではその動作性能に 雲泥の差があることなど当然のこと。インターネットがすいすい見られるかどうかは、 パソコンかタブレットかできまるのでなく、そうしたことの組み合わせで決まるのであ る。その組み合わせによってはパソコンの方がタブレットよりはるかにインターネット 閲覧が快適、早いということはいくらでもありうる。

・パソコンでインターネットだけでなく、あらゆるサイトにアクセスしてそれを閲覧した り、情報、データをダウンロードしようとした場合、さまざまなセキュリティチェック が入るのは当然のことなのである。OSやウイルスソフトがセキュリティ確保のため、 絶えず更新を求められるのも当然のこと。タブレット端末がそれを省いていることがあ るとすれば、いやそうである場合が多いようだが、実はそれは危険なことなのだ。その ことに言及しないでこんな説明のしかたはおかしい。

・パソコンは基本的にはマルチタスク、いくつもの、仕事を並行してこなす、こなせる
 ようになっている。その一方でタブレットは、基本的にはシングルタスク、一つの仕事 づつこなすというように設計されている場合が多い。どちらが便利、どちらが効率的か の比較はそのことを考慮して決めて欲しい、決めるべきだろう。単純にインターネット の閲覧だけ取り出して、それが早い遅いということだけ言うのはおかしいのだ。

「(タブレットで)戸惑ったのはメールに返事を書くときだ。画面にキーボードを表示させて打ち込むのだが、キーを打つ感触がない。押したかどうか不安になる。 文章の短いメールはまだいいが、1時間のインタビューをメモにまとめるのはストレスがたまる。タイプミスが増え、入力も遅くなった気がする。(文章打ち込みには2倍の時間がかかる)」記事引用

コメント:

・これがタブレット端末の欠点と言えば、欠点、もっともそんななことは最初からわかり きったことだ。 私は文章入力にタブレットを使ったことなど一度もない。タブレット 端末の画面にキーボードを出しておいて、それで打つなどよほどの緊急時以外そんなも のは元々使い物にならないことなどわかりきったことだ。

・ではそれがタブレットの致命的欠点かというとそんなことは全くない。答えは簡単だ。 要するにタブレット(それは上記のようにOSの違いであったり、赤外線無線に対応しているかないかであったり、使用するソフトが何でなるかにもよるが)に外付けのキ ーボードをつないで入力すればデスクトップパソコンと同じようにまさにすいすい文字 入力ができる。

・タブレットというが、最近Windows8になって、通常のPCとタブレットを合体したタイプ、合体しているが、キーボード部分とディスプレー部分を切り離して使うようないわゆるPC、タブレット両用機、コンパチ機が数多く登場してきている。同じタブレットでもそのようなタイプのものを選べば、この問題は解決するはずだ。

「調査会社BCNでパソコンやタブレットを担当する森英二さんは「情報を作る人はパソコンが、情報を閲覧する人はタブレットがむいている」という。例えば自分でホームページを作るにはパソコンが便利。一方、他人のページを見るだけの人や、書き込むとしても形が決まっている交流サイト(SNS)程度なら、タブレットの入力機能でも十分だといえる。記事引用

コメント:

・「情報を作る人はパソコン、情報を閲覧する人はタブレットがむいている」なんじゃ これ? という言い分ではないか。料理を、「あんた作る人」「私食べる人」と分け、 作る人はいろいろ道具はいるが、食べるだけの人は箸だけあればいいと言ってるような ものだ。

・そもそも情報ってなんのために閲覧するのか、なんのために新聞を読むのか、なんのた めにTVを見るのかだ。たしかにそれは情報収集のためだが、それだけで終わるわけで はあるまい。それを収集した上で必ずなんらかの形でそれを活かして、情報発信する側 に回るはずなのだ。いやそれをしない人はあえて極論するならば情報発信の楽しさ、面 白さ、その価値を知らないだけのことである。情報端末という限り、その両方ができて 当然、パソコン、タブレット端末はそれぞれその機能を十分備えていることは明白である。

・しかし、まあその話はとりあえず横においておこう。タブレットが主に情報収集に向いていて、パソコンの方が情報発信に向いているなどという分け方は全く無意味である。

・パソコンはもちろんタブレット端末と同等それ以上に情報閲覧・収集ができるし、もちろんおっしゃるように、それを作り発信することにも適している。

・タブレットが情報収集に向いているが、その作成・発信には向いていない?何をおっし ゃるかである。すでに述べたが、タブレットとて、そのOS、ハード性能、使用ソフト にもよるが、立派なパソコン、上で述べたようにもし文字入力機能が劣るならマウスを 使ってもいいし、外付けキーボードをつけて使えばいいのだ。写真、動画を撮ることも できるし、音声入力だってできる。パソコンに負けることない情報作成機能を備えてい ることなど明白なことである。

・いや、それにしても「情報を作る人」と「情報を閲覧する人」と対象者を大別してしまうそのセンスには驚くばかりである。

・「SNS程度ならタブレットで十分」という言い分にも違和感を覚える。SNSと言っても広うござんす。文章はできるだけ少なく、主に写真、動画を中心にする人。私のように、やたら長い文章を流す人いろいろいていいわけだ、それはBLOG、ツィッタ ーも同じこと。そうしたものとの関わりのため、私自体はは主にデスクトップパソコン を使っているが、旅行先からのアップの時など、これまでは小さいネットブックパソコ ンを使っていたがこれからはタブレットを使う機会は大いにあろう。またそのつもりで いる。

「東京・巣鴨で高齢女性の集団が、タブレットで記念写真を撮っているのを見た」というのは、タブレットに関する書籍を多数手がけるオフィスマイカの井上真花さん。「スマートフォン(スマホ)より画面が大きく、ノートパソコンと違って画面をみんなで見られる。タブレットは楽しい写真を撮るのにむいている」記事引用

コメント:

・スマホやデジカメの写真に比べて、タブレットの写真が楽しい? これも、なんじゃそ れ?って感じ。なにせスマホに比べ画面が大きいから撮った写真を即さまざまな形で加 工しやすいことはその通りであろう。それだけのことだ。それはスマホだって、もちろ んパソコンにだってできること。

・そんな機能はパソコンにはないだろうですか。直接撮ることはできないが、高級デジカ メを使えばよりあらゆる意味で高級な写真を撮ってそれを簡単にPCに転送できるわけ だ。モーバイル性は少々劣るが、外出先でもデジカメ、パソコンの組み合わせで必要 な仕事をこなしている人はいくらでもいる。

「1カ月間、使った結果、思っていたよりも不便なことは少なかった。起動の速さなどノートパソコンより快適なことも多い。今回はiPadを使ったが、井上さんによれば「アンドロイドのタブレットでもできることはほとんど変わらない」。操作性は異なるが「これはウィンドウズとマックの違いと同じ」。価格はアンドロイドのほうが安い場合が多い。」記事引用

まとめのコメント:

・これがこの報告のまとめのようだ。これに対するコメントはほぼ冒頭述べたコメントに つきる。

・再度言うが、タブレットとパソコンの違いなど基本的には何もない。どちらもパーソナル・コンピューターであるということでは全く同じなのだ。さまざまな周辺機器を外付 けで使うのか、内蔵で使うのか、使うソフトの違いはたしかにある。それをそれぞれ工夫して組み合わせればいずれの使い方も同じようになるはずである。

・使える周辺機器、ソフトは、アップル系、アンドロイド系、Windows系による違いでそれが決まってくる。どんなタブレットを使うかはその使用目的と応じたそれそれのOSのタブレットの機能の違いを調べた上でなにを選択したらいいか決めるべき である。単に価格が安い高いの問題ではない。

いろいろ悩んだあげくパソコンを選ぶか、タブレットを選ぶかを決めるなければならない。その場合、どんなタブレットを選ぶかという設問については:

・それはどこで使うのか 自宅なのか、オフィスなのか、モーバイル(外出先)なのか。
・なんの目的で使うのか、ビジネスなのか、パーソナルなのか

・パーソナルの場合、そのおもな使用目的は

・パソコンの使用経験はあるのかないのか。そのパソコンのOSは?

・パソコン関係で使っている周辺機器やソフトは?

・自宅の通信機器環境、光、CATV、ADSLなど

・外でタブレットを使いたい場合、どのような通信環境を準備したのか
 していないのか。

Windowsパソコンをお使いの方がどんなタブレットを選んだらいいか:

パソコンクラブのHMさんが、この記事についてコメントせよと求められたのにはいくつかの動機があろう。一つには長年Windowパソコンを使っているが、Windows8に代わったことをきっかけに、決めなければいけないこと、考え直さなければならないがいくつかある。

1)最新のOSがWindows8ということになったが、Windows8はそもそも  タッチパネル操作ができる機種でないとそれを入れる意味がないか。

2)Windows8を使うメリットとその対応機として、パソコンタブレット端末を購入する場合どんな機種を選んだらいいか。

1)について:

・これまで何度もBLOGで書いてきた。Windows8は確かにタッチ機能対応が一つ大きなメリットというか機能面での特色だが、それ自体にこだわることなく従来通り通常のパソコンとして使うためのメリットもさまざまある。

・タッチ機能ということについては画面をタッチしてということでなく、周辺機器の導入 (ディスプレー、マウス、キーボード、Touch8 など)でそれらしく使うこと自体は可能である。

2)について:

・パソコンとしてに機能とタブレット端末としての機能両方を備え、そのように使える  機種、いわいるコンパチ機を選ぶのが一つ。いまそうしたものが出まわり始めているが まだまだ本当にいいものが出ろろっていない感じがある。その機種の選定には慎重を期 した方がいい。

・パソコン・タブレット両用、コンパチというより、パソコンはパソコン、タブレットは タブレットと割りきってそれぞれを購入する手もある。私自身はそうするつもりだ。い やすでにそうしている。

・というのもWindows8コンパチ機というとすでの述べたように割高、価格が高く なるのは必然だ。それよりもWindows7でいいから、パソコンとしての高級機を 購入し、タブレット はタブレットとして別途サイズを選び、しかも最新のものを購入 すればコンパチ機を買う予算で その両方を入手できる。Windows7機は少額で 簡単に8にバージョンアップできるのである。

「我が家の小5の娘にはフィルタリングをかけたノートパソコンを渡しているのだが、タブレットを購入して以来、すっかり使わなくなった。探している情報を見つけるのも早くなった気がする。「パソコンは不要」という人は、今後も増えそうだ。長年パソコンを使ってきた人間には寂しい気もするけれど。」記事引用

コメント:

・我が家の小4の娘(こちらは孫か)には専用のパソコンも専用のタブレットも与えていないが、私のパソコン、タブレットを使うに当たっては好きなように使わせている。 親の方はタブレットなど持っていないせいもあるが、どちらかというとパソコンの方を 触っている機会が多いようだ。必要な音楽関係の情報入手についてもパソコンでうまく やっている。いや、逆にタブレットしか与えなければ、タブレットでもうまくやるだろう。

・私はアンドロイドのタブレットを買ったは買ったが、自身ではなにをやるにしもデスク トップPCに優るものはなく、タブレットを使うことなど滅多にない。自宅でやる限りはインターネットの検索もすべてスクトップでやるそれが快速で早い。それで得た情報 の処理もまたデスクトップでやるに限るのだ。

・外出の時、それを使うという意味分からぬではないが、外出先ではさすがにデスクトッ プを使うわけにいかない。情報の検索はスマホか、タブレットということになるが、 一歩外に出たとたん、通信環境はせいぜいWiMaxか3Gとなる。外では自宅のよう に光回線のように快適にできるわけがないのだ。

・この記事にあるようにタブレットによるインターネットの接続・検索がパソコンより快適で高速であるなんてそんな一般論があるわけがないのである。

tad

関係記事:

日経プラスワン記事:nikkei 

2012年7月4日水曜日

山ほど出てきた電子書籍端末:PC296

今朝のYahooBLOG
山ほど出てきた電子書籍端末:PC296
http://blogs.yahoo.co.jp/tadhayase/61614105.html



tad

2012年7月2日月曜日

「離党」新党結成で総選挙


共同通信だったか、小沢氏らの造反について世論調査を行ったら、36%が理解できると答え、59%が理解できない答えた。民放TV各局のコメンテータ達の殆どが「ほら見たことか、國民に人気のない小沢氏のあのような行動を國民が支持するわけがない」と解説してみせたものだ。ところが、それでも何人かの心ある評論家は、いやその数字、小沢新党についての期待はたしかに低いが、では増税を推し進める野田内閣、民主党政権にたいする支持率は29%で、民主党への支持率12%、それは小沢新党への期待以下ではないか。世論はむしろ野田政権より小沢新党に期待を寄せているとも読めるという指摘があって「ははあ、なるほどなるほど、なるほど」と思ったものだ。

もっともいずれにせよ共同通信の世論調査など日本のマスコミのどこがやっても同じような結果がでることなどわかりきったこと。その一方では、以前からそういう傾向があるのだが、いわゆるネットでの世論調査では、野田か小沢かと尋ねると、小沢支持の方が高いという結果が出ている。6月27日のTV朝日の「朝まで生TV」の増税是非をめぐる討論番組で最後の視聴者からのアンケート調査では、なんと小沢氏の行動を66%の視聴者が評価したという結果が出ているのだ。

ここでマスコミの世論調査の方法、集計が不正に行われているなどというつもりはない。それについては、マスコミ各紙、TVの一般読者、視聴者の政治意識と、常日頃、Twitter、SNS、BLOGなどのネットメディアで、討論したり、情報交換したりしている無党派層的世論が、マスコミのそれと大いに違っているという現象はなにも今に始まったことでないのだ。これからもそれがますます乖離してくることは十分考えられることだ。

ネット世論を軽視してはならぬもう一つの事象として6月30日ののBLOGでも書いた「原発再開反対デモ」の盛り上がりなどがある。それはネット世論の反映で、野田総理本人、その周辺、そしてマスコミお抱え評論家たちはそうしたネット世論の存在をまだまだ軽視しているところがあるように見える。

もちろん50%の無党派層イコールネット世論でないことはそうだ。ところがその二つがより重なる部分が徐々により大きくなりつつあるという見方の方が、ネット世論などまさにバーチャル的、仮想的なものという見方より正しい、妥当であると考えられるのだ。

57名の反対投票が出たあの衆院での採決以来、私自身は小沢グループが即離党を決めなかったこと、輿石氏の思惑もあって野田政権側が即除籍や除名の処分をせず、様子見ををしてきたこと自体、それでいいと思っていた。輿石氏は党の分裂を避るために、造反組も受け入れられる軽い処分をすれば法案反対組も党に残留するのではないかと読んでいたわけだ。それがお互いのため、それぞれの党のため、そしてそれが國民のためだという理屈であったことについて、私は特にそれが不当なこととは思っていなかった。小沢氏も処分ゼロ、しかも参院での審議は急がず先延ばしする形で進めるのなら残留の決意をしたかもしれないのだ。

ところがその輿石氏、参院でも審議促進の方針には変りなしと言うものだから、それは違うということになったのだろう。輿石氏がそのつもりでも、野田総理がそれを許す、認めるはずがないのだ。いや、もっとも野田総理がそれを認めることも長い目でみれば、本来の財政再建という政治的使命を達成する道であったかもしれないのだ。小沢氏はただその一点の変節を期待のだろうが、それはやはりなかった。

ことここに至っては野田、小沢両氏の思いが全く背反する以上最早どうしようもないことは明らかである。小沢氏反対グループにとっては離党しかその選択肢はなくなり、離党の上新党に向けた動きだす見込みだ。それでいいのではないか。その行動にはなんの瑕疵もない。マスコミがそれを非合理とか、いつもの政局がらみ権力争いに過ぎないなどと批判するのは全く筋違いだ。小沢嫌いの産経新聞だが、その点では高橋昌之氏の本件に関する評論は小沢氏の行動は筋が通っているとしているのだ。

こうなってくると反対しながら、残留する鳩山氏や反対表明でなく欠席行動にでた原口一博氏などの行動がどう評価されるかである。なんらかの処分は間違いないがそれを甘受して党に残り一体どうしようというのか。野田政権があくまで反対者は除名が相当という強い態度に出てきた時、鳩山氏はそこで始めて「では、さようなら」と離党するつもりなのか。

そこは民主党結党の同士である小沢氏と行動を共にし、来るべき選挙では新党の下、我々こそが民主党本家という主張をやった方が國民にはわかりやすいし、またそれが受け入れられる可能性が高いのではないか。

賽は投げられた。なにがなんでも増税に踏み切る、マニフェストを守らず、それを反故にしても増税が国家國民のためだと主張する野田総理と、それでは先の選挙での民主党政権への國民の期待への裏切り行為だと主張する小沢氏だ。そのどちらの言い分を國民が受け入れるのか、来るべき総選挙はそれを最大の争点、焦点にすることが大切だ。小沢氏は、増税はいずれ避けられない。が、しかし、その前にやると約束したことがある。まずそれをやらせてくれと明確に訴えるべきなのだ。一度騙された國民はもう騙されないよというか、では、今一度、小沢氏などの主張を聞いてやらせてみょうと思うかどうかである。

そうした過程をいま一度経ることが今後の政治の展開にとって、日本の國民の政治意識改革、問題意識教育のために非常に大切なことだと思うのである。

選挙では三党合意で漁夫の利を占めたつもりの自公の思惑など吹き飛ばし、野田か小沢かの覇権争いの形にもっていけばいい。もう一つの選挙の行末を決める要因に大阪維新の会や、愛知の地方分権化への動きがある。増税問題、社会保障改革とともに地方分権推進も先の政権交代選挙での、民主党本来の主張であったはずだ。それを改めて説くことも小沢新党の本来の役割であり、国家体制の再構築というテーマで、そうした新進の党と共闘出来るはずだし、共闘すべきでないのか。

tad

関係記事:

輿石氏 小沢氏の要求受け入れ困難:NHK 
民主党の消費増税反対57人は全員離党せよ:Sankei
原口元総務相は「離党せず」 仲間も「説得中」:Sankei 
小沢新党」へ着々も展望なく、悲観論も:Sankei 

2012年7月1日日曜日

遅寝・遅起きのすすめ?


「日本睡眠学会の市民講座が横浜市で開かれ、高齢者の不眠の問題に詳しい専門家が、眠れないまま寝床にいると症状が悪化することが多いとして、いつもより遅く寝るよう心がけることも大切だと呼びかけました。

市民講座は、高齢化に伴い、不眠に悩む人が増えていることを受けて、日本睡眠学会が開きました。」NHK 6月30日

毎日生きていて、さまざまな悩みごとに直面することはあっても、私自身かって睡眠について、それが長いとか、短いとか、そのパターンがどうのこうのなどで悩んだことなど一度もない。だからこのNHKの記事はまことに「意味のない」ものだという感想を書いておきたくなったわけだ。

まずはそうした「類型化」に真っ向から反する私の睡眠パターンを紹介しておこう。

私の私生活一日について:

午前2時半起床、パソコンに向かってBLOG書きの他パソコンワークを数時間行う。静寂の中でなんの邪魔もなく好きなことが集中してできるメリットは極めて大きい。

6時半、よほどの雨が降らない限り、歩いて3分、近くの公園で開かれているラジオ体操に出かける。柔らかな朝日と小鳥のさえずりを聞きながら、なによりもきれいに澄んだ朝の空気を吸いながら体を動かす。それで早朝からのデスクワークで疲れた頭と体を完全にリフレッシュ出来る。帰宅して、入浴またはシャワーを浴びれば、気分はまことに爽快、それからの朝食が美味しいのである。

朝食後は横になってNHKの朝ドラをみたり、民放のニュースショーを見たりする。パソコン、音楽、卓球などのクラブ活動が午前中にある時は出かけるし、何もない時はそのまま一時間ほど朝寝の時もある。

午後も同じこと、クラブ活動、ボランティア活動などあるのはほぼ7割位か。その時間は拘束されるが、そうでない時は、パソコンの前に座る、TVで映画やドラマを見る、毎日の生活のために必要な買い物、ほか家事に類することをするわけだ。前日のスケジュールがつまっていた時疲労が残り、昼寝をすることも多い。昼寝は一時間位の時もあるし、2時間以上に及ぶこともある。体が要求するままそれに従えばいいことだ。

夜、夕食は比較的早い。7時前後が普通。夕食後TVを見ることもあるが、長くて一時間あるかどうか。殆どの場合、8時半までには就寝してしまう。それで眠れないことなど滅多にない。床についたらあっという間だ。途中トイレのために起きだすことはあるが、それも気にしない。そういう調子だから、朝2時、3時に起きたところで、常々最低6時間の睡眠は確保されているわけだ。基礎睡眠時間としてはそれで十分ではないのか。

それで足りない時は朝、昼と限らず、適宜睡眠時間を加えればいいだけのことだ。そういう調子で、夜の基礎睡眠に朝寝、昼寝の時間を加えたら、多分一日7時間半から、8時間位のの睡眠時間は確保されているはず。確かに眠りたくても、日中活動で眠れないこともあるが、そんな日、翌日はその時間ができたら、何時でも朝寝、昼寝の時間を沢山取ってしまう。しまえばいいのである。

パターンがどうのこうのいうが、極論すれば、要するに眠れる時には眠り、眠れない時には寝ない。当たり前ではないか。眠りたいのに眠れない時は後から必要に応じて、体が求めるままに眠る。それだけのことなのだ。目が冴えて眠れない時もあるが、そんな時も焦ることなど一切なし。後から必ず眠くなるからそんなことは一切気にしない。

平均的に言うと上記の睡眠学会なるものが言うデータと違い、年齢を重ねるほどトータルの睡眠時間は間違いなく上がっているようだ。正確に測ったことはないが、50才の頃は恐らく7時間前後、60才で7時間半、最近は8時間から8時間半くらいに上がりつつあるのではないか。これから更に年を重ねるほど睡眠時間は間違いなく上がるだろうし、そのように適応していくつもりだ。みなさんそうではないのか。

この睡眠学会なるシンポジュームの記事などに書いてあることは私の睡眠パターンと全く違うことだ。違うどころでない。まさに真逆のことばかり書いてあるので一言言いたくなったのだ。

この記事に書いているのは、要するに一般に健康にいいとされる「早寝早起き」のすすめを否定し、遅寝、遅起きも場合によっては必要ですよと言ってるのだ。いや、それに少々、「それはおかしい」と言いたくなったのだ。「早寝、早起き」、どころか私の「超早寝、早起き」のようなパターンだってなんの問題もないですよ、と言いたかっただけだ。

私自身、自分の睡眠パターンが平均的なものでない、いやむしろ異常であることなど百%承知の上である。だからこそこんな遅寝遅起きのパターンがあってもいいし、そうしたアドバイスが間違っているなどと言うつもりもない。

しかし「遅寝遅起き」パターンが健康にいいなどという理論的根拠がどこまであるのか、となると、そんなことは全くないのではないか、いうことなのだ。特に当該記事の中の一文には反発を感じた。「東京医科大学の井上雄一教授は、睡眠のリズムは、日光を浴びることで調整されるため、朝早く目が覚めてしまう人は、早朝の散歩を避けるなど光を浴びる時間を遅らせることが効果的だとアドバイスしました。」

なにをおっしゃるか、である。朝早く目が覚め、朝日を浴びながら、ラジオ体操をしたり散歩することで気分爽快になれる以上のことが他にあろうか。いや、それができない人、嫌いな人にまで、朝日を浴びることの爽快感を説くつもりなど全くない。その方が睡眠を取れ満足されるのならそれはそれでいいのである。そういうパターンがあっても別に心配されることはないですよというのが本当で、それでわざわざ遅寝、遅起きを勧める必要が一体どこにあるのだろうか。
日本睡眠学会なるもののホームページの記事をいろいろ読んでいる中で次のような一文を発見したので少々長いが引用させていただく。

「ヒトの睡眠とほかの哺乳動物の睡眠は,生物学的には本質的に同じである。ノンレム睡眠とレム睡眠とが組み合わさって睡眠単位が構成されていること,生物時計の管理下に1日周期のリズム(概日リズム)を示すこと,眠りの不足分をはねかえり睡眠として埋め合わせることなど,すべて共通している。
  しかし,動物たちはヒトのように連続して長く覚醒しつづけたり,連続して長く眠りつづけることはしない。つまり,1日に何回も眠るパターンを(多相性睡眠)を示す。これに対し,複数の睡眠単位をつないで1日1回の長い睡眠期(単相性睡眠)にすることによって,概日リズムの休息の位相と同期させてしまったのが典型的な現代人の眠りである。
  これは学校や職場の時間割りに拘束されて,睡眠は人為的な制約のもとに,社会的ないし文化的に管理されるためである。つまり,ヒトの睡眠は自然のままではなく加工されたものである。しかし,高等動物の頂点に位するとされるヒトの睡眠も,ほんらい多様性に富むものである。多様性ゆえに私たちの睡眠はたいへん個性に富んでいるから,自分なりに工夫して快眠法を開発できる可能性がある。社会では1日に8時間寝ることが基準であるとみなす傾向があるが,ヒトもまたさまざまな生きざまとともに,さまざまな寝ざまを実行できる素質や能力をもっている。」

そう、その通りなのだ。人間の生活は他の動物のそれと違って、人それぞれ、それが極めて多様性に富んでいるのが本来の姿である。その生活文化の多様性、それぞれの人のライフスタイルに応じて、、その睡眠パターンが極めて多岐にわたること、多様性が高くなることなど必然のことなのだ。

それをあえて標準化したり、平均的なパターンを求めたりすることに一体何ほどの意味があるのだろうか。

tad

関係記事:

眠れない高齢者には“遅寝”も大切:NHK 
日本睡眠学会:ホームページ 
睡眠:Wikipedia
ヒトの睡眠の特殊性と多様性:Jssr

2012年6月29日金曜日

Googleタブレット発売の意味:PC295

「インターネット検索最大手の米グーグルは27日、独自ブランドの多機能携帯端末(タブレット)の販売に乗り出すと発表した。米国における価格は199ドル(約1万6000円)から。同社はこれまで自社開発した基本ソフト(OS)を外部企業に供与する形でタブレットに取り組んできたが、企画や販売も自社で手掛けて販売拡大に弾みをつける。

「ネクサス7」はコンテンツ配信サービス「グーグル・プレー」との組み合わせを想定
米国やカナダなど4カ国で同日から、自社サイトを通じて「ネクサス7(セブン)」の予約受け付けを始めた。7月中旬に出荷を開始する。日本を含むその他地域でも「販売を検討しているが具体的な計画は未定」(広報担当者)という。

ネクサス7は米アップルの「iPad(アイパッド)」より一回り小さい7型の液晶画面や、4つのコア(中枢回路)を持つMPU(超小型演算処理装置)を搭載した。生産は台湾のパソコン大手である華碩電脳(アスース)が担当する。」日経新聞 7月28日

iPadを追撃すべくマイクロソフトが自社製ブランドのタブレット端末の発売を始めたこと、その意味するところについては、6月21日のBLOGで解説している。と、そこへ今度はGoogleが同じく独自ブランドのタブレット端末を「ネクサス7」なる名前で登場させたというのが冒頭ニュースだ。

ご存知のようにGoogleはiPhone、タブレットiPadで快進撃を続けるアップル社には、AndroidなるOSで、スマホ、タブレット市場で対抗してきた。しかし、実際にはそれが及ばず、アップルの後塵を拝している状況なのだ。今回のGoogle自作ブランドタブレット導入は、ますます拡大するスマホ、タブレット端末のAndroid系製品の世界市場占有率を奪い返す、高めるというのが主な狙いであることは言うまでもない。

今回Google社はタブレット端末とともに、「メガネ型入出力デバイス」なるものをを発表しているが、これがまた実にユニーク、その実用性についてはまだまだ先のこととしても、こうしたもので、Googleトータルのハード・ソフトの製品群、サービス体制PRの大キャンペーンを貼ろうという狙いなのだ。自社ブランド端末発売も、もちろんその価格の安さで、販売数量を上げようということもあるが、それよりも要するに自社ブランド製品だけでなく、世界のAndroid系モーバイル製品のメーカの販売量をとトータルで上げようということなのだ。マイクロソフトの自社ブランドタブレット端末の発売と同じ戦略、狙いがあると言っていいのだろう。

戦略と言えば、Googleの狙いは、タブレット、スマホというモーバイル機器だけにとどまらない。マイクロソフトのタブレット端末が、Windows8の導入に合わせたPC市場全体の占有率の確保、再拡大、強化の一環であることは先のBLOGでも書いたつもりだが、Googleの狙いも実は同じところにあるのではないか。

自社ブランド製品の共同開発先が台湾のASUS社であることがそのことを示唆している。そのことについてはすでに何度もBLOGで書いているが、ASUSはタブレット端末と従来型PC両用タイプ、Android系及びWindows系コンバーチブルPC開発の先駆者である。 

Googleの狙いは、ASUS他メーカがGoogleブランドのAndroidOSのタブレット端末導入が刺激となって、従来出してきたタブレット端末をさらに強化するだろうこと、それに加えて世界のパソコンメーカ-がASUS社のEeePad TF101TransformerのようなコンバーチブルタイプのPCを数多く開発、市場に登場させることを狙っているのであろう。そうしたものは別にOSがAndroidでなくてもいい。Windows系のものがこれから数多くでるであろうから、それもいいのだ。まずはiPadの独占的地位を打ち破ることが先決なのである。

このGoogleタブレット端末発売のニュースに関連して、それがなぜAndroidOSで、Chromeでないのかという解説記事があったが、たいした掘り下げがない内容だった。私自身の予測では、Googleはいずれ近い内に、ChromeOSのタブレットというよりタブレットとPC両用、コンバーチブルタイプのPCを導入するだろうということである。そもそも現在のWindowsPCにChromeを入れて使うことにはなんの問題もない。その逆もまた真、すなわちChromeOS専用のPCが出た場合でも、ブラウザーについてはWindowsのIE(Internet Explorer)を入れてで使うことが出来ればユーザーにとっては大変便利、メリットがあるのだ。

長年Windowパソコンを使い続けてきた身としては、是非そのような展開、パソコンに関しては、コンバーチブルタイプであること、そしてそのOSがWindows、Chromeいずれであれ、ブラウザーについては、IE、Chromeを使いわけられるようにしてもらえれば、有難い、便利かなと思っているのである。

tad

関係記事:

米グーグル、タブレット端末「ネクサス7」予約開始 :
新OSからメガネ型端末まで グーグルが開発者に訴えた未来像
うわさのGoogleタブレット、Chrome OS搭載でないのはなぜか'
AppleのiPad、GoogleのChromeOSタブレット、買うならどっち

2012年5月19日土曜日

左手の奇跡:ピアニスト舘野泉さん

今朝ニュースをチェックしていたら、NHKオンラインニュースの中に「ピアノに新たな歴史を刻む"左手のピアニスト”舘野泉さん」の記事があった。5月22日放送予定番組の紹介記事だ。これは必見と、さっそく録画の予約をした。 舘野泉さんのことはもちろんかなり以前からよく知っている。以前にも何度かNHKの別の番組で音楽家としての活躍ぶりを拝見している。左右両手がそろっていても難しい音楽演奏を左手だけで見事やってしまわれるのはまさに奇跡である。どうしてそんなことが可能なのか、この記事の説明である程度なるほどとは思う。

しかし、プロのピアニストはもちろんだろうが、多少ピアノという楽器に触っている私などのようなものにとっては、舘野さんが左手だけで弾いておられる演奏を聴くと、それが左手だけで演奏されているとは信じがたいもの、すばらしい演奏なのだ。 こんなこと理屈では実際に聴いてみられたらいい。YouTubeにその演奏がいくつか掲載されているのでご参考に供する。どう聴いても左右両手で弾いておられるとしか聴こえないのだ。 これはもちろん「楽器の王様」ピアノにしてできることには違いない。ピアノとは左右両手で弾くもの、分かりやすく言えば主に左手で和音伴奏を弾き、右手はメロディを弾くものだ。もちろんそれが逆になる場合もあるが、いずれせよ両手がそろっていて初めてその演奏が完結するものと思っていた。ピアノの先生はそう教える。左手は左手、右手は右手でパートを分け、それぞれ別に練習するのが伝統的やり方だ。 

ところが舘野さんは、左手だけしかお使いにならない。NHK記事には親指と人指指がメロディを担当し、残りの指が和音を担当するのだある。いや、実際にはそんなことにとらわれず、あれだけ広い音域の鍵盤はケース・バイ・ケース、曲の内容、進行の中で、それぞれの指はその必要性に応じて弾き分けるということなのだろう。 左手だけの演奏が可能なら、右手だけの演奏も理屈としては全く同じである。要するに指は5本さえあればいいのだ。 身体的ハンディキャップを負いながら、世界一流のピアニストになったもう一人の例が盲目のピアニスト辻井信行氏である。全く別の次元のことになるかもしれないが、これまた私ら通常人にとっては奇跡としか言いようがないことである。

 このお二人の音楽家の存在こそ、私たち日本人は世界に誇っていいことではないかと思うのである。その奇跡を生んだのはまさにその超人的なその技術力があるからこそなのだが、それを生むベースとなっているのは、その感性のすばらしさなのだ。 神は生まれてくる人間には平等に基本的な身体的能力と、精神的な感性を与えてくれている。それが普通だ。それは別に音楽の分野のみならず、あらゆる人間は、生きていく上で必要な能力、人生を楽しむための感性を持って生まれてきているはずなのだ。しかしそれをどう開花させるかは、それぞれの人のその後の生き方、その努力次第ということなのだ。その努力次第で、仮に大きな身体的なハンディがあってもそれを補ってあまりある潜在的能力も備わっているということなのだ。 

こんなことを書くのは、そうした天才の方に大変失礼なことかもしれない。しかし、そうではなく普通に生まれた人間ほど、その本来の意味を理解というか、認識しないで、不運を嘆いたり、その不運を必要な努力をしないことの言い訳に使ったりする愚を戒める教訓としたいということである。 完全な10本の指を持っている自分、その有難さを十分かみしめながら、舘野さんの奏でる演奏の百分の一位にでも達することができるべく努力すればいいのだと、改めて、自ら戒めることができる。それはマンネリになりがちなピアノ練習に、改めて心気一転励む大きなモーチベーションとなる。

 tad

 関係記事: ピアノに新たな歴史を刻む: nhk
 舘野泉: Wikipedia
舘野泉 Scriabin Nocturne for left hand:YouTube
舘野泉3つの聖歌~アヴェマリア/カッチーニ~:YouTube