2012年7月1日日曜日
遅寝・遅起きのすすめ?
「日本睡眠学会の市民講座が横浜市で開かれ、高齢者の不眠の問題に詳しい専門家が、眠れないまま寝床にいると症状が悪化することが多いとして、いつもより遅く寝るよう心がけることも大切だと呼びかけました。
市民講座は、高齢化に伴い、不眠に悩む人が増えていることを受けて、日本睡眠学会が開きました。」NHK 6月30日
毎日生きていて、さまざまな悩みごとに直面することはあっても、私自身かって睡眠について、それが長いとか、短いとか、そのパターンがどうのこうのなどで悩んだことなど一度もない。だからこのNHKの記事はまことに「意味のない」ものだという感想を書いておきたくなったわけだ。
まずはそうした「類型化」に真っ向から反する私の睡眠パターンを紹介しておこう。
私の私生活一日について:
午前2時半起床、パソコンに向かってBLOG書きの他パソコンワークを数時間行う。静寂の中でなんの邪魔もなく好きなことが集中してできるメリットは極めて大きい。
6時半、よほどの雨が降らない限り、歩いて3分、近くの公園で開かれているラジオ体操に出かける。柔らかな朝日と小鳥のさえずりを聞きながら、なによりもきれいに澄んだ朝の空気を吸いながら体を動かす。それで早朝からのデスクワークで疲れた頭と体を完全にリフレッシュ出来る。帰宅して、入浴またはシャワーを浴びれば、気分はまことに爽快、それからの朝食が美味しいのである。
朝食後は横になってNHKの朝ドラをみたり、民放のニュースショーを見たりする。パソコン、音楽、卓球などのクラブ活動が午前中にある時は出かけるし、何もない時はそのまま一時間ほど朝寝の時もある。
午後も同じこと、クラブ活動、ボランティア活動などあるのはほぼ7割位か。その時間は拘束されるが、そうでない時は、パソコンの前に座る、TVで映画やドラマを見る、毎日の生活のために必要な買い物、ほか家事に類することをするわけだ。前日のスケジュールがつまっていた時疲労が残り、昼寝をすることも多い。昼寝は一時間位の時もあるし、2時間以上に及ぶこともある。体が要求するままそれに従えばいいことだ。
夜、夕食は比較的早い。7時前後が普通。夕食後TVを見ることもあるが、長くて一時間あるかどうか。殆どの場合、8時半までには就寝してしまう。それで眠れないことなど滅多にない。床についたらあっという間だ。途中トイレのために起きだすことはあるが、それも気にしない。そういう調子だから、朝2時、3時に起きたところで、常々最低6時間の睡眠は確保されているわけだ。基礎睡眠時間としてはそれで十分ではないのか。
それで足りない時は朝、昼と限らず、適宜睡眠時間を加えればいいだけのことだ。そういう調子で、夜の基礎睡眠に朝寝、昼寝の時間を加えたら、多分一日7時間半から、8時間位のの睡眠時間は確保されているはず。確かに眠りたくても、日中活動で眠れないこともあるが、そんな日、翌日はその時間ができたら、何時でも朝寝、昼寝の時間を沢山取ってしまう。しまえばいいのである。
パターンがどうのこうのいうが、極論すれば、要するに眠れる時には眠り、眠れない時には寝ない。当たり前ではないか。眠りたいのに眠れない時は後から必要に応じて、体が求めるままに眠る。それだけのことなのだ。目が冴えて眠れない時もあるが、そんな時も焦ることなど一切なし。後から必ず眠くなるからそんなことは一切気にしない。
平均的に言うと上記の睡眠学会なるものが言うデータと違い、年齢を重ねるほどトータルの睡眠時間は間違いなく上がっているようだ。正確に測ったことはないが、50才の頃は恐らく7時間前後、60才で7時間半、最近は8時間から8時間半くらいに上がりつつあるのではないか。これから更に年を重ねるほど睡眠時間は間違いなく上がるだろうし、そのように適応していくつもりだ。みなさんそうではないのか。
この睡眠学会なるシンポジュームの記事などに書いてあることは私の睡眠パターンと全く違うことだ。違うどころでない。まさに真逆のことばかり書いてあるので一言言いたくなったのだ。
この記事に書いているのは、要するに一般に健康にいいとされる「早寝早起き」のすすめを否定し、遅寝、遅起きも場合によっては必要ですよと言ってるのだ。いや、それに少々、「それはおかしい」と言いたくなったのだ。「早寝、早起き」、どころか私の「超早寝、早起き」のようなパターンだってなんの問題もないですよ、と言いたかっただけだ。
私自身、自分の睡眠パターンが平均的なものでない、いやむしろ異常であることなど百%承知の上である。だからこそこんな遅寝遅起きのパターンがあってもいいし、そうしたアドバイスが間違っているなどと言うつもりもない。
しかし「遅寝遅起き」パターンが健康にいいなどという理論的根拠がどこまであるのか、となると、そんなことは全くないのではないか、いうことなのだ。特に当該記事の中の一文には反発を感じた。「東京医科大学の井上雄一教授は、睡眠のリズムは、日光を浴びることで調整されるため、朝早く目が覚めてしまう人は、早朝の散歩を避けるなど光を浴びる時間を遅らせることが効果的だとアドバイスしました。」
なにをおっしゃるか、である。朝早く目が覚め、朝日を浴びながら、ラジオ体操をしたり散歩することで気分爽快になれる以上のことが他にあろうか。いや、それができない人、嫌いな人にまで、朝日を浴びることの爽快感を説くつもりなど全くない。その方が睡眠を取れ満足されるのならそれはそれでいいのである。そういうパターンがあっても別に心配されることはないですよというのが本当で、それでわざわざ遅寝、遅起きを勧める必要が一体どこにあるのだろうか。
日本睡眠学会なるもののホームページの記事をいろいろ読んでいる中で次のような一文を発見したので少々長いが引用させていただく。
「ヒトの睡眠とほかの哺乳動物の睡眠は,生物学的には本質的に同じである。ノンレム睡眠とレム睡眠とが組み合わさって睡眠単位が構成されていること,生物時計の管理下に1日周期のリズム(概日リズム)を示すこと,眠りの不足分をはねかえり睡眠として埋め合わせることなど,すべて共通している。
しかし,動物たちはヒトのように連続して長く覚醒しつづけたり,連続して長く眠りつづけることはしない。つまり,1日に何回も眠るパターンを(多相性睡眠)を示す。これに対し,複数の睡眠単位をつないで1日1回の長い睡眠期(単相性睡眠)にすることによって,概日リズムの休息の位相と同期させてしまったのが典型的な現代人の眠りである。
これは学校や職場の時間割りに拘束されて,睡眠は人為的な制約のもとに,社会的ないし文化的に管理されるためである。つまり,ヒトの睡眠は自然のままではなく加工されたものである。しかし,高等動物の頂点に位するとされるヒトの睡眠も,ほんらい多様性に富むものである。多様性ゆえに私たちの睡眠はたいへん個性に富んでいるから,自分なりに工夫して快眠法を開発できる可能性がある。社会では1日に8時間寝ることが基準であるとみなす傾向があるが,ヒトもまたさまざまな生きざまとともに,さまざまな寝ざまを実行できる素質や能力をもっている。」
そう、その通りなのだ。人間の生活は他の動物のそれと違って、人それぞれ、それが極めて多様性に富んでいるのが本来の姿である。その生活文化の多様性、それぞれの人のライフスタイルに応じて、、その睡眠パターンが極めて多岐にわたること、多様性が高くなることなど必然のことなのだ。
それをあえて標準化したり、平均的なパターンを求めたりすることに一体何ほどの意味があるのだろうか。
tad
関係記事:
眠れない高齢者には“遅寝”も大切:NHK
日本睡眠学会:ホームページ
睡眠:Wikipedia
ヒトの睡眠の特殊性と多様性:Jssr
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