2010年1月6日水曜日

総理ツイッターはやめてください

参考資料を含むBLOGはこちらです。http://blogs.yahoo.co.jp/tadhayase/58936452.html

このツイッターなるもの昨年後半くらいからネット上で話題になったことは知っていた。自分でも登録してやってみたが、まだ今のところは本当におもしろいとか、なにかの役に立つとかいう実感はまったくない。Wikipediaの解説によれば、BLOGとチャットの中間的なものといい、自分はBLOGはやり、チャットも経験はあるが、まだ
そのツイッターなるものの利点、欠点のことはよくわからない。

だから今はツイッターそのものについてどうこうでなく、それを鳩山総理が始めるという動機のことや、果たしてそれ自体に問題がないのかということについて書いておきたいのである。実は私は一国の総理たるものが、これを始めるということについての危惧を加藤紘一氏が指摘するような意味で持っていたのだった。

今鳩山内閣の支持率が低下した理由の一つは首相個人のリーダーシップ欠如、とりわけその発言のぶれにあることは明白である。特に外交・防衛問題、普天間問題に関する発言のぶれはひどいものがある。これを聞いていて、アメリカ、日本国民、沖縄県人が不信感をいだくのは当たり前である。総理は公人、しかも日本のトップとして、あらゆる事項についての意思決定過程を刻々国民にオープンにし、知らせることが義務であると思われているらしい。それは違うのではないか。国家のトップが意思決定のすべての過程をオープンにする必要などなにもない。いや、むしろそうしてはならないのではないか。

すべてのことが決まった上で、しかもそれは外交問題であるからそれをアメリカ側、国内の関係部署からも一定の同意を得た上で、発表し、その決定のいきさつを説明するのは必要だし、また当然のことだだ。それがこの問題については外務大臣、防衛大臣、挙句の果てに連立与党の見解、総理の見解がばらばらになって出てくるのだから聞いていう方は一体どうなっているのか不信感を持って当たり前である。

私に言わせると総理は、あのぶら下がり記者会見もやめた方がいい。あれがあるから何か言わなければならないのである。総理は誠実な人柄であるから、その時点で自分が思っていることを言ってしまわれるのだ。それが誠実さの証なのだ。そして結果、別の時点では別のことを言うことになってしまうのだ。それがまさにぶれなのである。

ツイッターなるものは、そのまさに瞬間、瞬間心に浮かんだことをつぶやくのである。それを互いにやることで、新しい発想、思いがけない発想、アイディアが浮かんでくる。いわば連想ゲーム、会社などで、よく教育訓練でやる何といったかなあ、そういうものなのだ。それが非公式の場でそういう発想交換の場として行われるのならいい。

そういう意味では総理が仮に限られた仲間と非公開でそれをやられるのなら一向に構わないが、それを公開でやったら大変であることくらい誰が考えてもわかる。その発言はすべて記録され、一つ一つにURL(アドレス)がつくから大変である。総理がこんなことを言ったあんなことを言ったとあらゆるところで引用されてしまう結果になる。それは単なるつぶやきであるなどと言って果たしてすむか。こと総理に関してそうはいかないことまた自明ではないか。

おそらくツイッターをやったらと進言した側近がいるのだろうが、今からでも遅くないやめておかれた方がいいとするのが正解だろう。

tad

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