2010年1月12日火曜日

就職難時代:高校・大学の教育充実

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昨日は「成人の日」あちこちで着飾った若者が市や町の主催のお祝いの会で市長の訓辞を聞いている風景があった。そして中には荒れる成人ののいつもの風景。この国って一体どうしてなにもかもこうワンパターンなのかとつくづく思う。私らが成年になった時は大学生だったと思うがこんな行事はなかった。いつからこんな儀式が行われるようになったのだろうか。

いや、今日の話は成人式のことでない。そもそもこの成人式なるものは一体なんのためにあるのかさっぱりわからない。いや成人の門出を祝ってやることを別に悪いとは言わない。しかし政府といい、地方自治体といい、若者が成人になったことをただ祝ってやるよりもっと大切なことがあるのではないかと思うのだ。彼らは将来の国の存立を支えていく重要な人材なのである。またその人材たる若者ももっと、人の手を借りないで、自らどうしたら自立できるか考えて欲しいのである。

新成人にはこれからの社会のあらゆる分野で、それぞれの役割を果たすための重要な働き手となってもらわなければならないのだ。国家はそのために彼らにどういう社会観、職業観を持ってもらいか、どう働いてもらいたいか、そのために彼らにどういう教育を施し、それぞれの分野の担い手となるためのどんな教育訓練が必要かを考えなければならないのだ。そのために支援は惜しんではならない。

民主党政権は高校の無償化を打ち出した。賛成である。国の将来の担い手を育てることは国の責任だ。そのための財源などたかがしれている。問題はそうして行われる教育の中身である。これは高校はもちろん大学も同じなのだが、自分自身の経験から言っても、またさまざまな現在の高校・大学における教育の現実を見聞するにつけ、そうした場で、若者が社会に出て働き即戦力となるような教育がなされているとは到底思えない。即戦力というと誤解があるだろうが、要するに基礎的な知識、技能の教育がどれだけなされているかである。

今大学、高校の就職内定率が問題になっている。今年の場合、昨年10月の段階で大学生が62%、高校生にいたっては39%などという史上最低の数字である。高校生の場合、まだ進学という道があったり、まだ未成年という気安さもあるが、もうその先がない大学生にとって就職できるできないはたしかに深刻な問題である。

しかしこの就職内定という数字だけが問題になることについて私はずっと以前から大きな疑問を持っていた。ことこの問題で言うと、雇う方も、雇われる方もものの考えが極めてワンパターン、画一的である。働くとは、仕事とは、ただ企業に勤めたり、役所に勤めたりすることだけか、ということか。日経の社説にあるように、今の社会もっと新しい働き口が沢山あるのではないかということだ。さらに採用がすべて一斉という定期採用になっていることもおかしい。どうして必要に応じてそれがなされないのか。

そうした画一的なものの考えに疑問を呈し、発想転換が必要なことを11日の日経新聞社説いが書いているのだ。は現代の若者は若者なりに低迷する社会の中で、どう生きたらいいか、それぞれ考えているし、就職活動ということについてもいくつかの新しい分野への挑戦の姿勢を持っていると指摘している。そし行政の側もそうした新しい分野開拓に力を貸すべきとしているのだ。雇う側もその採用パターンを変えていくことの必要性も訴えている。

日経社説は、新しい分野での仕事を生み出していくこと、そういう分野への挑戦の意欲を持つ若者を育てていくためにも、高校・大学における教育をもっと実務的、職業訓練的なものとして充実していく必要性があることを説いているが、その通りではないか、

そのことは、私自身の高校・大学での学習体験からしてもそうだし、現在の教育内容を見聞していてもは強く感じることである。企業は、新卒を採用しても、彼らが即戦力になることなど頭から期待していない。必要な知識、技術はすべて入社してから与えるということになっている。それが常識になっていること自体おかしいのでないか。語学にせよ、IT関連にせよ、基本的な読み書きの教育にせよ、もっと就職後の仕事の役に立つことを念頭においた教育がなされることは可能だし、そうなるべきではないのか。

私今地元の小学校で子供たちにボランティアとして、パソコンを教える機会があるが、たまたま地元の高校生もカリキュラムの一環として、教える側として参加している。しかしパソコンに関して、教える側の高校生のあまりにも低い知識、技能レベルに驚くことが多い。高校でも、パソコンはIT教育の一環としてカリキュラムの中におり込まれているはずだが、実質的な教育はあまり行われていないようである。それは別にパソコンに限らないが、こんな高校生が就職しても、仕事に必要な知識や技能が身についてなくては仕事ができるわけがないのである。雇った側はパソコンをはじめ基礎的な技術、実技、場合によっては読み書きを教えることから始めなければならないのだ。

高校の無償化はいいことだと思うが、それを意味あるものにするためには、高校・大学といった高等教育の中身の充実こそが、あらゆる意味で現在の就職難問題を解決する根本的な対策の一つであることを指摘しておきたい。

tad

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