2010年1月10日日曜日

何が黄門さまだ

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私は昔からTV番組「水戸黄門」が好きで、もう何十年続いたのか、今でも再放送を含め飽きもしないで楽しんでみている。特に夢中になって見ているわけではないが、くだらない、凝りに凝ったTVドラマなどよりよほどおもしろい。あんなワンパターンの話のどこがおもしろいのかとカミさんに馬鹿にされながら、それでもその単純明快な紙芝居を楽しんでいるのである。

いやなぜそうなったかはいちいち説明する必要もないが、一つあるのは、まだ小さい子供の頃、この水戸黄門の話に接したということがある。

私がまだ小学校に入学したばかりの頃、一家は大阪、堺に住んでいた。当時日本は太平洋戦争の末期、日本の各都市は大空襲の被害を受けていた時期だ。七人も兄弟がいて大変だと、上の姉と私が富山の祖父母の家に疎開させられた。その間終戦までわずか十ヶ月くらいの間だが、祖父母の家に住み、地元の小学校に通ったのである。堺の家には子供向けの本や絵本があり、子供の頃から結構見よう見真似でそうしたものを読んでいた。

ところが祖父母の家にはそんな本などまったくなかった。なにせ疎開先のこと、近所に友達もなく、祖父母が一緒に遊んでくれるわけでない、結構退屈していたに違いない。そんな時、家の床の間の棚にあったのが、講談の本、五、六冊はあったと思う。祖父が読んでいたのだろう。その中に宮本武蔵だの、太閤秀吉だの。水戸黄門の話があった。特に水戸黄門の話がおもしろく何度も何度も読んだものだ。今のテレビの水戸黄門の話などでなくさらにもっと単純明快なものであった。だから読めたのだろう。

いやそれがあったからに違いない。高校、大学そして社会人になってもTVのドラマで登場する太閤記、宮本武蔵、水戸黄門などどんなストリーであれ、熱心に見てきたものだ。社会人になって会社勤めをし、複雑な人間関係、仕事に悩む中で、いつもあの「葵の紋所」があったらどんなにいいかと思ったことは何度もあったのだ。世間の苦労などなんにも知らない(?)カミさんなどがそうした「屈折した」心情(?)などわかるわけがないのである。

前置きが長くなった。講談についての昔話をするつもりではない。今日言いたいのはその政界の水戸黄門と呼ばれる渡部恒三氏のことだ。最近のこの人の言動について苦言を呈するのが目的である。水戸黄門の実像などまた別のものがあるのだろう。それはよく知らない。が、少なくともTVや講談本に出てくるような水戸黄門はもっと明快な正義感を持った人であり、今の渡部恒三氏のようなぬえ的存在でないことは明らかだ。ぬえのように陰気ではないが、正体不明なところがある。

特に最近民主党の党顧問からはずされてから、なにかと小沢批判を始めた。批判が悪いとは言わぬ。やるならもっと正々堂々、小沢氏のどこがどう間違っているか、それがどうして天下国家のため、民主党政権のためにならないのかを言うべきである。それをちくりちくりと皮肉をいうばかり。まさにスキャンダル、あら探しばかりやっているマスコミ以下のていたらくである。

長年衆議院の副議長をやり、勲一等旭日大褒章を受けた身である。すでに小沢氏などよりはるかに栄華栄達の身なのだ。その立場から天下国家を論じ、小沢氏を批判するのならいい。それが民主党の七奉行なるものを作って、小沢氏が中国に出かけている間に七奉行を集め、反小沢連合を作っているのような印象を与えることが天下の副将軍のやることなのか。マスコミは面白がってそれをやるが、そんなものに乗る方も乗る方である。

tad

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