2013年8月5日月曜日

「八重の桜」、これからの八重

今年のNHKの大河ドラマ「八重の桜」、毎回、見ていることは見ているが、どうもいまいちおもしろくない。主人公八重の生い立ち、先夫川崎尚之助との結婚の経緯、幕末激動の歴史の中での、あの会津藩の悲劇、それに巻き込まれた人々の悲運、あれもこれも暗い話ばかりで見ていて楽しいところが殆どないのだ。

いやそれがまさに歴史の現実であって、それを描くドラマに楽しさ、エンターティンメントを求めようなどということ自体が無理なのだ。

しかし楽しさ、おもしろさなどというと誤解を生じるが、そうではなく、そうした波乱激動の世の動きの中で主人公がどう生きたか、その人となりがいかに親兄弟、子孫ほか家族そして、藩で関わりある人々を動かし、その時代の歴史の動きとどう関わったかいうことが見たい、見れるところに最大の興味があるのだ。今回のドラマ、少なくとも前半のそれを見る限り、八重自体の存在感があまり感じられないのだ。

NHKの大河ドラマというと男性が主人公、女性が主人公であることが半々位であると思う。八重の桜のように女性が主人公の場合でも、その主人公にもっと明確なスポットライトを当て、毎回、さて毎回今週はさまざまな歴史的事件の中でその主人公が一体どのような行動をしたか、言動を発したか見るのが楽しみなのである。

そうしたものの例として、最近では、篤姫の宮崎あおい、さらに「江姫たちの戦国時代」の上野樹里が演じる主人公などが魅力的だった。それはもちろん二人の女優のキャラクター自体の魅力ということもあったが、やはりそのストーリの描き方、シナリオの良し悪し、主人公の魅力を引き出す演出の良し悪しが大きく左右することは間違いない。

そういう意味では、これまでの八重の桜、綾瀬はるか演じる主人公八重の人物像の描き方がいまいちよく分からないところがずっと続いてきた感が強い。子供の時から兄覚馬の影響で、鉄砲というものに興味を持ち、それが縁ともなって川崎尚之助と結婚する経緯にしても、会津戦争で鉄砲をうちまくる八重の姿、その背景としてある会津藩への思い、分からぬではないが、いまいち共感を感じる度合いが小さかったことは否めない。それは綾瀬はるかの演技力ということでなく、やはり山本むつみの脚本、加藤拓の演出の良し悪しによる所が大きいのだろう。

昨夜は、八重が尚之助から離縁状をつきつけられ、絶望の中母とともに、京都で生きていた兄山本覚馬訪ね、再会する場面で終わっている。尚之助の絶縁状、その理由は解説の要もないが、それがまさに八重にとっては過去のあらゆる負の遺産との決別のための配剤となったようだ。

良くも悪くも会津藩とのしがらみ、過去のすべての守りのしがらみから解き放たれ、やっと新しい時代、京都の再興、新しい国家の建設という超前向きの時代の要請、夢にどう応えていくか、それを描くための背景が整った。そのシナリオがこれからどのように展開するか。あらゆる経緯、経過について前半のように事細かく、説明す必要などない。

これから登場する新しい夫、オダギリジョー演じる新島襄との出会い、その経緯、二人が意気投合するところが最大のポイントだ。新島襄の人間像、彼の京都再興、教育事業の展開、それを八重がどのように受け止め、夫のライフワークの手助けをしたかということを中心に、あれこれ話を拡散することなく、明快にテンポよく見せてもらいたいのである。
最近の大河ドラマとなると、数多くの大物俳優が登場する。それが一つの売り物になっているのだが、結果的にはそれが一つドラマを面白なくしている原因になっていることにプロデユースする側が気づいていない面がある。それぞれの大物俳優のためにさまざまな見せ場を作らなければならない。そのことが結果として、話が拡散、肝心の主役の魅力を出しきれない遠因となっていることは明白ではないか。

新しい時代を迎え、これからやって綾瀬はるか、新島八重の生き様の本領がみられるのかと楽しみにしている。その期待に是非応えてもらいたいものだ。

tad

参考資料:

八重の桜: wikipedia
江 姫たちの戦国: wikipedia
篤姫 (NHK大河ドラマ):wikipedia
八重の桜 あらすじ32回 兄の見取り図:nhk
八重の桜 あらすじ31回 離縁のわけ:nhk
綾瀬はるか:wikipedia 

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