2013年7月10日水曜日

コンピュータ、身につける意味:PC493

「グーグルが開発中の眼鏡型コンピューター「グーグル・グラス」が話題を集めている。アップルにも時計型端末を準備中とのうわさが絶えない。フィクションの世界でおなじみのウエアラブル(身につけられる)コンピューターが、普及する日は近いのだろうか。
 
□身体と精神を解放

グーグル・グラスは眼鏡の右上につけられた画面にネットを通じた情報を映し出す。操作はつるを触ったり、声で指示したり。写真や動画を撮れるカメラ機能もある。2月から米国で試用機を販売、すでに「車の運転中は危険」「隠れ家的飲食店での使用禁止」といった声が出ている。

しかし、メールチェックや写真撮影だけなら、スマートフォン(スマホ)でできる。身につける意味はどこにあるのだろう。

「両手が空くウエアラブル端末は、ネット空間から人間の身体と精神を解放するための一歩」。2001年から、眼鏡型端末を装着して日常を過ごす塚本昌彦神戸大大学院教授は話す。いまネット情報を得るには、いちいちスマホやパソコンを通じ、「あちら側」に入りこまなければならない。ウエアラブルなら日常生活を妨げず、境目なくネット情報を引き出せるようになる、というのだ。」朝日新聞  7月9日

昨日の朝日新聞33面の記事だ。朝日新聞のトップ1面に、40ページ近くある各記事内容をまとめて紹介するメニューがある。これは便利。その中でも興味をひく記事を見つけ出し、そこを開いて読めばいい。朝日の場合、紙の新聞でなく、それを丸々デジタル版で読めるようになっているがそのためには、月500円プラス料金が必要だ。今のところそうしていない。なにしろ、それがどんなトピックスであれ、関連事項の記事はネット上に山ほどあって無料で入手できるからだ。だから今のところ、プラス500円払うだけのメリットを感じない。たった500円のことであるが、別にそれに頼らなくても、ネット上のあちらこちらのサイトから、より普遍的、包括的にその事象について調べることができるからである。

そうした情報収集ができることが大切であり、後はさまざまな事実関係、それについて解説的なものがあれば、それも一つの参考にしたらいいだ。しかし一番基本的には、それについて自分がどう思うか、その社会的、文化的意味について考えることである。マスコミがそれを適切にやってくれるとは限らない。マスコミに限らずその分野の専門家と称する評論家や学者でも、それについて妥当かつまっとうな解説をしてくれるとも限らないのである。

今朝取り上げたこの朝日新聞記事がまさにその典型的な例だった。いや、それ自体興味あるテーマであったと思う。まずはそのタイトル、「コンピュータを身につける意味」が、目を引いた。

えっ、なんのことだろうと、一瞬思ったが、ああそうだ、この記事、要するにこれからの情報化、ネット化社会に適合して生きていくためには、やはりパソコンとか、今流行りのIT機器をある程度使いこなせるようになっておく方がいい、いわゆるコンピューターリテラシィ、情報リテラシィを高める努力をすることを薦める内容のことが書いてあるのだろうと思ったわけだ。

実際には、この記事を読み始めて、すぐにわかった。「身につけるコンピューター」とは要するに今ITの世界で話題の「ウエアブル・コンピュータ」のこと、つまりそれはGoogleグラスのことであり、アップルのiWatchのことだとわかったのだった。

なんだそのことかと記事を読んだらすぐに分かった。Googleグラスといい、アップルのiWatchといい、それ自体はいわゆるコンピューターでもなんでもない。要するに情報を集めたり、集めた情報を保存しておいたりするためのものだ。

それならすでに携帯するものとしてスマホなるものがあり、タブレットがあるわけだ。Googleグラスだ、iWatchが、それにとって代わるという意味では必ずしもない。あくまでそれが一つこれからのウエアブル機器だという意味だ。

それはそれとして、ではそれをなぜわざわざ身につけて使う必要があるのかということだ。朝日新聞の記事が冒頭その疑問を呈することから始まっている。腕時のようなモーバイル機器はこれまでもあった。要するスマホをさらに小型化し、時計のように手首につけてそれを使うというようなものが存在する意味は分かる。しかしGoogleグラス、メガネ、その形状となると、そのルックスからして少々異様に感じるのが普通だろう。そこまでしてそれを身につける意味は一体なんなのだろうかという設問が当然であり、それはその通りなのだ。

これについて、朝日記事は、その必要性の根拠として、2001年から、眼鏡型端末を装着して日常を過ごす塚本昌彦神戸大大学院教授の主張を紹介している。塚本教授曰く。「両手が空くウエアラブル端末は、ネット空間から人間の身体と精神を解放するための一歩である。いまネット情報を得るには、いちいちスマホやパソコンを通じ、「あちら側」に入りこまなければならない。ウエアラブルなら日常生活を妨げず、境目なくネット情報を引き出せるようになる。」

朝日記事はこれについて、この塚本教授の弁が正しいとも間違っているとも論じてはいない。しかし、まあ総体的にはその主張を認めたような形になっている。なにしろ相手はその道、分野の専門家だからと遠慮したわけでもあるまいが、もう少し常識論、一般論でいいから、この塚本説に異論、異議、少なくとも疑問を唱えるようなところがあっていい。
さてその常識論とは一体なんであるかだが、そもそもこのGoogleグラスなるものと塚本教授が着用されているものが同じもののか、それは塚本氏によって独自に開発されているものか不明だ。が、いずれにせよ、それをつけた外観いかにも異様http://s-park.wao.ne.jp/wp-content/uploads/2012/11/%E5%A1%9A%E6%9C%AC%E5%85%88%E7%94%9F%E5%86%99%E7%9C%9F1.jpgなのある。それを着用することで、「ネット空間から人間の身体と精神が解放される?」とあるが、あの異様なものを身につけて、開放されるとはいかにも不自然である。

そんなものを身につけておくことで本当にネット空間から開放されるのか。ネット空間にある情報はそこまでしないと、必要なものを収集し損なう、失ってしまうとでもおっしゃるのだろうか。人間生きていくために朝昼晩、三度食事をし、必要な栄養を摂取するのだ。ネット空間の情報の場合、三度どころか必要に応じて何度でも行ったらいいのだ。この際言いたいのは、その逆である。情報収集ということになると、どうしてそれが常時でなければならないのだろうか。その必要に応じてやるというのが本当ではないのか。

スマホなるものが出てきて、歩きながらそれを夢中になってやっている人が多いことが問題になっている。そうなのだ。そもそもどこに、そんな必要性があるのだろうか。スマホに加え、今度は街中をあの異様な格好のメガネを掛けて歩く人が増えるだろうということらしい。

そこまでやりたい人は勝手にやってもらってもいいが、それが他の歩行者の迷惑にならないという保障はない。食事をとったらそれを消化吸収する機能と時間が必要なように、情報を入手したら、それを必要に応じて処理整理する頭脳の働きが必要なのだ。それを助けるためのコンピュータその他IT機器が必要になってくるのだ。

単に情報収集ということより、むしろそうした一連の情報処理活動の方が大切なのであって、それについては自らの頭脳をフルに働かせなければならないのだ。情報収集とその処理という作業がバランスよく行われることが、大切なのである。

それが頭脳というCPUが常時情報収集にばかり関わっていたら、ネット空間から身体と精神を開放するどころか、それだけに支配されてしまうことになってしまうだろう。そもそも人間の頭脳は、パソコン・コンピューターみたいにマルチタスク機能は得意ではない。

「身につけるコンピュータ」などというが、ここで言う身につけるものとは決してコンピュターなどではない。せいぜい情報収集端末なのだ。その情報収集、まさにそのネットの世界からオンライン、オフラインでいくらでも膨大にして多様な情報を必要に応じて入手できるのである。問題はそれが常時でなければならないのかである。その常時というのはあくまで必要に応じてということで十分のはずなのだ。

それよりも大切なのは情報処理能力、対応能力である。身につけるべきは入手した情報をどう使うか、それにどう対処するかを考察、判断できる頭脳であり、その能力ではないのか。

tad

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