2013年6月2日日曜日

脱原発という成長戦略

なぜ日本でそして世界で、なぜ脱原発を叫ぶのか、叫ばれるのか、たしかに一つの政治的スローガンには違いないが、実はそれは右も左もない、政治思想、イデオロギーとは無関係のことだ。人類社会地球社会の生き残りをかけた問題なのだ。核爆弾をなくしても、核戦争をなくしてもその一方で放射能汚染の可能性を秘めた原発事故が今世界のどこかで起こり、放射能汚染が拡大しても不思議ない状況なのだ。にも関わらず、今の国際社会、人類社会はこの原発というものにどうしてこんなに寛大なのだろうか。

それもこれも原子力が効率的にしてしかもクリーンなエネルギーだという定義になっているからだ。たしかにCO2を排出しないという意味ではまさにクリーンだが、その一方で一歩間違うと放射能という最悪の汚染物質が地球を覆ってしまう可能性がある。世界の首脳達、国民大衆はこのことについてかくも寛大なのか、考えを及ばさないのか不思議でならない。

オバマにせよプーチンにせよ、中国、インドなどの首脳、そしてちろん安倍首相どうしてこのことについてその思想、短絡的というか、目先的というか楽観的なのだろうか。。それもこれも要するにいずれも目先の経済のことしか考えていないからだ。

日本は世界最大の地震国、直下型地震、大津波などで原発が一気に破壊される危険は常にある。その確率が仮に1%、0.5%だとしても一度起こってしまうとそれが及ぼす悪影響の甚大さは想像を絶するものがあるのだ。どうしてこの単純にしてわかりやすい論理が理解されないのか。しようとしないのか。しかもそのことを如実に示したのがたった2年前の福島の事故であった。

その福島事故はなんら根本的解決にいたっていない。これはいかんと、原発技術先端国のアメリアやフランスなどがやってきていろいろ支援してくれたのだが、結局根本的問題はなんら解決していない。いや、その解決策などないのである。汚染水を根本的処理する方法など有効手段はなんら打たれていない。今後30年にわたって汚染水を貯めるタンクを作り続け、それに保存し続けなければならない。

仮にそうした事故、仮にその原因がなんであっても、同類の事故がが中国、韓国、インドで、そしてその他発展途上国で起こったら、それぞれの国は一体どういいう対策を取るのだろうか。原発技術先進国を自認する日本がその解決策をどう示せるのか。示せるわけがないのだ。

それを安倍首相、日本の原発技術は世界最高などと言い、世界中に原発輸出をはかろうとしているのである。

あらゆる意味で本来先頭を切って脱原発を図らなければならないのは日本のはずであった。いや今もその筈だ。それに目覚める国は今後あちこちで増えてくるはずなのだ。スリーマイル、チエルノブイリ、福島などと同等、それ以上の原発事故が世界の国のどこかで起こる可能性は大なのである。その事故にどう対処するか、それについて完全な答えなど日本を含めて世界中のどの国も持ち合わせない現状なのだ。

そうした状況下、そうした事故を防ぎながら、より確実に、安全にそして無限の可能性を秘めているのが、あらゆる現代技術を駆使した脱原発のエネルギー産業社会モデルを構築していくことではなかったのか。昨日の朝日の社説はこのことを述べているのだが、その通りではないのか。

日本は世界唯一の原爆被爆国であり、自然災害にともなって発生した原発事故の体験国なのだ。原爆の方は世界中の国、国連を中心として現状維持、これ以上核爆弾が拡散しなようにと動いている。かっての東西冷戦の究極の結果として、核の汚染による人類社会終焉の悪夢を避けるようには動いている。

が、もう一つの核拡散の恐怖、原発事故によるそれについて国際社会、人類社会がまとまり、国連などが中心になってその危険性を回避する、最大限の予防措置を取るような動きがどうして出てこないのか、不思議でならない。これまで原発反対の声、反対運動はドイツほか、ヨーロッパ先進国であった。が、その他先進国アメリアかなどではもちろん、経済発展著しい中国、インド、ブラジルアジア、中南米諸国で、原発反対運動が盛んになったというニュースなどあまり聞いたことがない。

むしろ原発輸出合戦が盛んなのだ。世界の殆どの国、先進国、発展途上国でも原発は効率的なエネルギー、しかも地球温暖化CO2削減のためには有効なクリーンなエネルギー源として捉えられている
のである。原発は果たしてクリーンなエネルギーなのか。問題はその一点に戻る。

CO2を排出しないという定義ではたしかに原発はクリーンである。しかもこんな効率的なエネルギーは他にはない。だからどこの国でも一旦事故を起こしたら大変な放射能汚染を引き起こすだろうが
それは滅多にないこと、それが起こる可能性は極めて小さいからいいという論理で原発を維持し、
継続する現状なのだ。未だそれを持たない国は、経済戦争に勝つため、生き残りのためには是非必要だと積極的な導入を図るのである。

あの福島事故を見た時、その当時国日本はもちろん世界中が改めて原発事故の恐ろしさを知ったはずだった。中には日本から大使館を撤退したり、大使館を東京から九州に移すことを検討した国があったほどだ。

日本では脱原発の運動が起こり、あの大原発反対の官邸前デモが話題になったつい昨年末のことなのだ。年末の衆院選では脱原発が最大の争点になるはずがそうならなかった。

それから半年、政権交代があり、そして安倍内閣は来るべき参議院選挙ではどうやら成長戦略の柱として原発推進を打ち出すということになったらしい。なんだこの国一体どうなっているのか。そして同じように原発事故の恐ろしさをいとも簡単に忘れてしまう世界は一体なんなのか。

これについてある意味、絶望に似た思いをするのは私だけなのだろうか。昨日のBLOGで述べたことを再度書いておく。来るべき夏の参議院選、脱原発かはたまたやはり推進なのか、長中期成長戦略とも関連してそのことが最大の争点になることを期待している。

この国の存亡まさにそのことにかっていると言っても大げさではない。

tad

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