2013年6月11日火曜日

世界最高水準のIT社会へ」プログラミング教育の義務化:PC477

「政府が6月5日に示した成長戦略の素案には、「世界最高水準のIT社会の実現」に向け、オープンデータやIT教育推進に向けた改革案を盛り込んだほか、3Dプリンタなど先端設備への投資支援やクラウドファンディングにも言及している。

 ハイレベルなIT人材の育成・確保のため、デジタル教材の開発や、双方向型の教育、グローバルな遠隔教育などの授業革新を推進。産学官連携でIT人材育成の仕組みを来年度中に構築し、義務教育段階からのプログラミング教育など、IT教育を推進するとしている。」 yahoo 6月6日

6月5日政府が示した成長戦略の素案に「世界最高水準のIT社会の実現」に向け、IT教育推進が一つ重要な柱として挙げられている。その中に義務教育、小学校、中学校の段階からのプラグラミング教育の実施ということがある。先に国家成長のために必要なグローバル化推進のために英語を義務教育化するということがあった。私は5月23日のBLOGでそれに大賛成であると書いた。今回のIT教育の中で、「プログラミング教育の義務化」というもの、その中身についてはさらにきっちりとした定義は必要であろうが、その趣旨、狙い、目的については大賛成である。

プログラミング教育とは何かについての議論はちょっと横においておこう。日本という国家がこれからの時代その成長を続けるためには、グローバル化、ネットワーク化・IT化という二つの大きな波に対応できる体制、それぞれの分野での人材の育成が必要であることなど今更議論の必要もない。

そのために人材育成、義務教育段階で、まずは世界の共通言語たる英語教育強化が必要であるということだった。さらに社会のネットワーク化、IT化に対応できる情報リテラシー教育の充実が必要であるということ、それがなにより優先されるべきことなど議論の余地がないと思う。ところが、この国、それを言うとそんな必要がないとか、そんな余裕があるわけがないとか、そんなことよりこっち、あっちだという議論が盛んに出てくる。否定論、肯定論が並んで拮抗して出てくるのだ。私などに言わせるとこれが実に不思議な現象なのである。

少し皮肉な言い方をすれば、つまりこの国、この国民やはりまだまだあの歴史、長い鎖国時代の空気ものの考え方を引きずっているのだろうと言いたくなる。

これがお隣の韓国や、中国となると話は違う。別に政府はそんな号令などかけなくてもいい。若者は自らその必要性を察知し、どんどん欧米の国の大学に留学したり、さらに外国で職を求めたたりする志向を強く持つ。彼らはそのために必要な英語を学び、また自ら先進のIT情報リテラシーを高めようとする。もちろんインドなどのIT分野での教育の充実ぶりが、今日のその経済成長率の高さの一つの柱となっていることなどこれまた言うまでもないことなのである。

英語教育といい、IT教育といい、その中身、方法論に関する議論はいくらあってもいい。大いに議論したらいいし、その効果、成果を上げるための方法の選択肢自体豊富にあってしかるべきだ。それぞれ、これだあれだと自分が一番いいと思うものを選択、実践すればいいのだ。

義務教育のレベルでは関連教科が義務教育課程として設定されている、認定されているということ自体が重要なのだ。そうした教科が学校でどれだけ完全に教えられるどうか、自ずから限界があることなどむしろ当然ではないのか。それはいかなる教科も同じである。親は学校での教科の内容を見ながら、子どもを算数塾、英語塾に通わせたり、場合によってはこれからは民間のIT塾に通わせるということもあるかもしれない。親は義務教育課程分野の教育に関しては、家庭でもさまざまな補助的手段を講じるだろう。そのことが大切なのだ。

それをしないで、学校で必要なことをやっていないとか、不足しているからダメというという不満を持つこと自体がおかしい。子どもの将来のために一体どういう教育を施したらいいか、学校で十分できないと思われる英語教育、IT教育などについてもそれぞれ家庭でそれを補う手段をとるべきではないのか。

従来の教科だけでも大変なのに、それに英語だ、IT教育だプログラミング教育だのが教科としても加わっても、それが果たしてどれだけできるかについての疑問が起こったり、いやそもそもそのために必要な教員が揃っているのか、そのための教員教育がなっているのかどうかという議論に発展するのも当然であろう。その対策が必要なことも疑問の余地はない。

それでいいのではないか。そもそもそういうことはこれまでそうした重要問題すら議論もされなかったようなところがある。英語教育もさることながら、小学校でこれまでプログラミング教育どころか、さらに根本的なパソコン教育、パソコン情報リテラシー教育などの時間が極めて少ないというのが実情なのである。

私は近くの小学校でパソコンを課外活動の一つとして教えているが、パソコンを備えた教室はあっても、パソコン授業が一体週何時間あるのか、一時間あるのか30分あるのかどうかだ。いずれにせよそれが微々たる時間であることは間違いない。それでは話にならない。

その意味でも今あちこちの学校で子供に一台タブレット端末を配布し、それに基づいて全体の教科、自体その教科書をタブレット端末の置き換えてしまおうという動きが起きている。その内容、実施方法についてもまだまだ全く未知数ではあるし、それがアタブレットでなく、パソコンであるべきだという意見などもあるようだ。いずれにせよ、そうした事態が広がること自体が大切で、それが契機となってそれが学校のIT教育、プログラミング教育の充実につながっていくわけだ。議論もなにも
どんどんそうなっていくだろう。それでいいのである。

タブレットでもパソコンでも話は同じこと、子供たちに、ネットにつながっている情報端末を一人一台与えることだ。もちろんそれは授業で使う、家庭で使わせればいい。書くこと、読むこと、話すこと、調べること、そうした端末であらゆるIT機器学習が実際に行われるようになるはずだ。それがまたなによりのIT実践教育になるはずである。

そうした機器に触れることで、プログラミングなるものの学習に触れる機会が増えることも間違いないいのである。もっともそうしたことに興味を持つ子供、全く興味のない子供が出てくることは必然なのだが、それでいいじはずだ。

プログラミング教育がIT教育の一つの大切な柱であることは間違いないが、それがすべてではない。その意味でもIT教育の充実のためにも、「プログラミング教育の義務化」というより、まずはより幅広く、しかしその内容を具体的に明記したIT教育、教科の義務化ということでいいのではないか。

tad

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