2007年2月5日月曜日

格差とは何か


今日のブログトップでも書いたように民主党は夏の参議院選挙の最大の争点を「格差」問題とするようだ。そのことの是非について書いてみたい。

安倍総理は憲法改正を最大の争点にするつもりだった。が、「生活維新」こそ今大切という小沢氏の国会質問に二者択一ではない、どちらも重要というような答弁をしていた。しかし、やはり本音は憲法改正が最重点なのだろう。歴代総理が誰にもできなかった憲法改正をやるのだという自負が見えかくれする。もちろんそれは重要だが、長年続いてきた9条をめぐっての論議も、もう大体国民の合意ということを含めて決着がついてきているのではないかということだ。

第一憲法問題については安倍総理、それに小沢代表、自民党、民主党の考えにさほど大きな差があると思えない。一番大きな問題は自衛隊の憲法上の地位ということだが、これはもう防衛庁の防衛省への昇格ということで事実上決着がついている。今更憲法改正などもう急ぐ必要はさらさらない。

憲法より今は国民の生活、所得格差や年金の問題をまず優先すべきだという論には大半の国民も同意するに違いない。現在の年金制度に対する国民の不満や不安はかなりはっきりしていると思われる。これは別途十分論じるべきだ。今論じるべきは所得格差の問題である。

所得格差の問題についてのあちこちの世論調査を見ていてもどうもその実態というか国民がこれをどのように捉えているかということがよくわからないのである。ちょっと古いが昨年3月の読売新聞の世論調査では、所得格差は大幅にあがったと答えた人が多かった。一方最近毎日新聞が行った調査では拡大したという人と、していないと答えて人がほぼ半々という状況であった。どっちが本当なのか。

今国会冒頭で小沢代表が「日本は今や世界でも一番の格差社会になった」と迫った。そんなわけがない、逆に日本ほど格差が小さい国はないと与党からも反論の声があがった。どっちが本当なのか。どちらもその統計的数字を明確に挙げて言ってるわけではないからどっちがどうだといえないわけだ。

実はそれを表す統計数値として「ジニ係数」(ウイキペデイア)というのがあり、昨日の毎日新聞にそれが出ていた。それによると2002から2004年の間にこの係数が急上昇したことがわかった。すなわち小泉政権の構造改革の下、所得格差が広がったということは確かにそうだと証明されたわけだ。毎日新聞

しかし、ではだから日本が今や世界でも有数の格差社会になったというのは本当かというと全くそうではなくOECD諸国の係数の比較では大体全体の平均近くにあることがわかっている。(国際比較)したがって小沢氏の言うことは間違いだと言われてもしかたがないのだ。

先日の朝日新聞だったかこの論争をとりあげて安倍資本主義か小沢社会主義かと揶揄していたが、それはまさにそうだと思う。結局それは何がなんでも所得格差がないことが平等なのか、それともいわゆる能力に応じて、また努力に応じて所得に格差が出ることこそ平等なのかという議論に帰するわけだ。それは結果平等であればいいということなく、機会が平等であればいいという考えなのかという言い方もある。

一方はなにがなんでも平等であれというのはおかしい、仕事の能力、またそれにかける努力に応じて格差がでることこそが平等だいう。もう一方は、その機会が本当に平等に与えられているのかと反論するわけだ。例えばパートタイマーが正社員と同じ仕事をしているのに、賃金に大きな差があるのはおかしいではないかという指摘はまさにそうなのだ。そうした事実は現実に多々存在する。

かと、言ってパートタイマーといい、派遣社員といい、そのことを承知の上で、別の目的があってあえてその道を選んでいることもある。

いずれにせよ、この問題はある意味で我々人間社会の永遠のテーマなのかもしれない。格差があると言う方も、ない、あったとしてもそれは当然必要な範囲だという方も、お互い十分その数値的な根拠、具体的な事例を挙げて議論をしているわけでない。ただそれぞれの感情に訴えるような議論が多い。

それに問題は所得格差というが、もう一つもっと根本的なことは人間の幸福は一体所得が高い低いだけで測れるものなのかである。ただカネのことでなく、別の価値観、人生観、ライフスタイルのことも考えた議論を深めるべきでないのかというのが私の感想である。
いや選挙の論戦はそこまでは及ばないだろうが、ただ格差、格差というだけで国民が納得できる論戦にはならないだろうと警告しておきたいのである。

tad

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