2013年5月4日土曜日

憲法改正をめぐって


昨日5月3日憲法の日、新聞各紙は一斉に安倍内閣がしかける憲法改正について報道していたが、その報道ぶりで、そもそも憲法改正に賛成、反対、そのどちらでもないというスタンスが垣間見えて興味深かった。ネットで各紙の報道ぶりをざっと見た限りだから正確なことは言えないどちらかというと朝日は改正には反対、産経、読売は賛成、毎日はそのいずれでもなく、世論を見極めようという姿勢のようだ。

3日の朝日新聞トップは、「首相改憲へ戦略転換、本音の9条は封印、まず入り口の96条」という見出しだった。参院選で、9条改訂を持ち出すのはまずい、それだと改正そのものに支障が出かねない。9条改定のためには、96条に定める国会での三分のニという高いハードルを、過半数をいうように改めるのが先決とう戦略に変えたということでそのような解説していた。96条改定なら、憲法改正に慎重な公明党をさしおいても維新の会や、みんなの党の賛成を得られると考えたようだ。

その他野党は総じて、そうしたアプローチには反対、朝日新聞はトップ「座標軸」や社説でも、憲法は国家を超えた存在、権力に勝手なことをさせないよう縛りをかける最高法規だといういわゆる「立憲主義」を持ちだして、そうした安倍内閣の改正への手順整備を批判していた。

はてさて、改憲に賛成、反対どちらの言い分が正しいのか、国民世論は賛成、反対、そして中立の3つ、ほぼ1/3づつに分かれているという実情である。(NHK世論調査 図1)6年前の2007年の調査では賛成、反対、どちらでもないが、28%、41%、26%でかなりの差で反対が多かった。が、直近の調査では賛成、反対が逆転し、33%、30%、どちらでもないが32%となった。これは尖閣列島、竹島など領土問題、北朝鮮の脅威などのことが影響し、9条改正賛成論が増えたようだ。

この数字をどう読むか、逆説的にいうと、あれだけの領土紛争が起こりながらそれでも、まだ平和憲法を守るべきという、日本国民の根強い世論はそんなに大きな変化はないとも言えるようだ。

解説などいい。お前の意見はどうなのかと問われたらどう答えるかだ。私も正直のところ今の状況で賛成か反対かと問われたら、そのいずれでもないと答える中の一人だ。それは決して付和雷同ではない。

私の疑問は、どうして安倍首相、改正のために先ず入り口の96条改正から始めようという発想を持つのかである。それはまさにちゃちなアプローチではないか。どうしてそんな手順論が大切なのか。最大の問題は9条の本質、その改正なくしては国家の防衛が成り立たないのかどうかというのが本質論なのだ。9条矛盾論、限界論いろいろあるがその内容を参院選で堂々徹底論戦したらいいではないか。

反対派にも一言言いたい。立憲主義などといういかにも高度な言葉を持ち出して、だから憲法改正を論議することすらやめよという論理に結びつきかねないことは止めて欲しいわけだ。

賛成派が、9条改正のために三分のニの賛成が条件というハードルは高すぎる。だからそれを過半数にしよう、それが民主主義の原点だというごとき論理を展開することに反対派としていうべきことがあるはずだ。もし96条を国会三分のニの賛成が必要ということに反対であるなら、その賛否の決着は、国会議員でなく国民投票の過半数で決めようと提案すべきではないか。それこそが本来の民主主義の原点ではないのか。立憲主義なるものの原点ではないのか。立憲主義とは国民の意志の直接的反映、絶対的反映という意味ではないのか。

少なくとも、直近では過半数に近い国民は改正そのものに賛成している状況なのである。にも関わらず、「立憲主義」なる御旗を持ちだして、改正に頭から反対するようなスタンスこそが矛盾ではないのか。

私に言わせると、国民の直接投票こそがことを決める最後の手段であることなど明白なことだ。そうした手段を取るべきだという意見、制度論もないわけでないが、この際どうしてそれがもっと主流意見にならないのか、私は不思議でならないのである。

tad

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